2007年08月01日
日本に到着
ついに日本に到着。予定より早く着いた。病気のこともあり、母が空港に迎えに来ていた。
スーツケースを郵送する手続きをしてからSと別れて、空港内で弁当を買う。スカイライナーの中で食べた。
7年間のアメリカ生活が終わった。
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2007年04月30日
渡米して7年 思い出話(アメリカ最初の夜)
今日で私が渡米してからちょうど7年が経つ(ちょっと前のメールで8年て書いてしまったが、計算しなおしたら7年だった・・・8年目ということにはなるが)。7年前の4月30日。友人(後にワイオミング州のコミュニティーカレッジに行くことになる)に見送ってもらって、京成成田駅からスカイライナーに乗った。空港に着くまで、ノートパソコンで卒業アルバムのデジタル版を完成させた。高校卒業後、留学予備校のトフルゼミナールに入り、有志2人が卒業旅行を計画し、卒業アルバムまで作ってくれた。私はウェブサイトや掲示板を作って、コミュニケーションを活発にしたわけだが、最後の仕事として、ひろみ、ごろうさんが作ってくれた卒業アルバムをデジタル化したのだ。
成田到着後、公衆電話から電話回線経由でFTPを使ってファイルをアップロード。見事完成となった。見たい方はこちら。
空港には、両親、弟、おば4名が来ていた。出国審査に向かうエスカレーターの所で(見送りの人が見えなくなるところあるでしょ?)、涙が出そうになったがこらえた。行きたくないという気持ちが強くなっていたのだと思う。期待なんてゼロだった。まあ、出発日が近づくにつれて、徐々に行きたくねーなぁっていう気持ちが強まったんだけれども。
乗り換えはシカゴ。入国審査で、I-20のコピーをいらないもんだと思って出さずにいたら、それもいるってことが分かり(審査官に、「これも」って感じで取り上げられたので)、後で焦った。税関を通過後、荷物を預けるところがあって、よく分からずに預けてしまい、ちゃんと届くのか心配になって、別のターミナルに移動した後、戻ってみると、入れないようになっていて(一方通行)、焦ってカウンターで聞こうと思って、とりあえず、サバイバルイングリッシュなる本を見たけど、例文が載ってなく、辞書で荷物はbaggage、luggage どっち使ったらいいんだろう???? となり、結局適当な英語でカウンターで聞いた。そしたら、問題ない、というようなことを言われ、本当に通じたのか、荷物は大丈夫なのか、すごく不安になって落ち込んだ。
乗り継ぎ便は、フロリダ州フォートローダデール行きだ。とりあえず1ヶ月、ここのEmbassy CES という語学学校に通うことになっていたからだ。着いて、baggage claim に急いだ。空港出迎えサービスなんて頼んだのは忘れていた。無事に荷物が見つかり、ほっとして出口に向かうと、大男が話しかけてきた。なんだろうと思ったら、私の名前が書かれた札を持っていたので、出迎えサービスに頼んでいたことを思い出した。
そとはもう夜。そういえば、飛行機から街の様子が見えたなぁ。大男は色々話しかけてきたが、私は応対している余裕があまりなかった。どこをどう走っているのかわからないうちに、家の前に着いた。ホストファミリーの家である。希望として、「動物(猫or犬)がいる家」としておいたのだが、ふたを開けてみると、オバヤン+でかい犬という組み合わせだった。つまり、ハズレ。で、月800ドル。
ドアを開けると、オバヤンが出てきた。オバヤンが、結構どうでもいい格好だったが、別に不思議に思うことはなかった。オバヤン曰く、「あと1時間後に来ると思ってたわー、バブバブ」 へんな訛りがあった。
家に入り、靴を脱がなくていいのか、一応確認してしまった。オバヤンの息子が以前使っていたという部屋に通され、荷物を置いた。腹は減っているかと聞かれ、何か作ったんだろうと予測できたので、「yes」と言うと、ガーリックトーストを作るという。香ばしいガーリックの香りと、フランスパンのサクサク感の見事なハーモニー・・・なんて期待できるはずもなかったのだ。出てきたのは、おろしガーリックがこれでもか!と乗っかったガーリックブレッド。これじゃあ、ガーリック&ブレッドとでも呼べそうだ。
仕方なく食べた後、むかつく胃を押さえ、実家の玄関の鍵を見て枕を濡らした。これが私のアメリカでの最初の夜だった。
とまあ、こんな感じである。あれから7年。自分でも随分成長したなぁと思うよ。さて、今日は、「あ、そうだ! 今日で渡米して丸7年だ!」ということを思い出し(明日だと思っていた)、何かお祝いをしようと思ったが、金もないし、私は部屋の片づけをして、Sに餃子を作ってもらうことにした。
7年前の自分と話ができたら、面白いだろうなぁ。7年後の今日、お前はゴミ袋7つ捨てて、餃子食ってるよって。しかし、人間はどこでどうなるか分からないもんですね。だから面白い。

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2007年04月06日
World Expo 2007
4月には、International Awareness Week という毎年恒例のイベントが、ISA(International Student Association)主催で行われている。このweekには、月曜から土曜まで、ほとんど毎日何かのイベントがあり、金曜の午後には、様々な国の生徒がブースを出す World Expo、そして夜には Festival of Nations というショーが行われる。
このWorld Expo、小学生が多く訪れるので、自分の国をアピールするのはもってこいである。私はこのイベントに、かれこれ4年も続けて出ている。去年までは自分の家からテレビまで運んで・・・。今年はテレビが確保できたし、Sビデオ入力つきのものが用意されていたので、家から運ぶ必要はなかった。
ISAも、早いうちにISSSのメーリングリストなどを通じてイベントの告知をすればいいのに、しないから、知っている人しか知らないイベントになっていることだろう。それよりも、私が危惧するのは、私がKUからいなくなってしまった後、ちゃんと毎年やってくれる人がいるのか、ということだ。私は、自分の身を切ってでも、日本祭をはじめ、World Expo のような、日本をアピールできるイベントに心血をそそいでしまう。それは、私がやらなかったら誰がやるのかというのと、日本について理解を深めて欲しいという二つの理由がある。
まあいい。今年は日本祭の残り物があったので(SuicaリーダーとPivのフィルム)、展示することに。後はたらこダンスを液晶モニタで流して(デスクトップパソコン持参)、テレビにはみんなのテニス。

小学生をはじめ、大人の来場者にも、suicaとpiviを通して日本の技術を、折り紙などを通して伝統文化を伝えることに成功した(と思う)。こういう地道な作業が日本への理解を深め、彼らにとっては日本を好きになるきっかけとなり、最終的に親日派を増やすことになる、と信じてやるわけだ。
日本人はもっと自分の国、文化に誇りをもって、外国人に語れるようにならないといけない。

さて、World Expo が終わりに近づいた頃、一番よかった国のブースはどこでしょう、という投票が行われ、日本は見事2位に輝いた。1位はサウジアラビア。お茶やお菓子を出して、かなりのスペースを取ってやっていたので、当然といえば当然だろう。日本も何か食べ物を出せたらいいね、来年は。
Expoの後は、Festival of Nations の担当者と打ち合わせだ。なんと、たらこダンスがまたできることになったのだ。ショーに出る予定だったグループのうち3組がキャンセルし、空きができたので、入り込めたのだ。最初はパスタソースの説明とたらこダンスの予定が、10分くれるというので、ぎりぎりになってパワーポイントスライドを変更し、suica→トイレ→たらこダンス、とした。日本祭で私がやったプレゼンの前半をカットしたわけだ。
今回は、服の下にたらこダンスコスチュームを着て、着替えに時間を取られないようにした。プレゼンはかなりの笑いを取ったが、たらこダンスが始まると、ちょっとシュンとしたかと思ったが、なんとか乗り切れた(動画は後でアップ予定)。前半は太鼓、後半はたらこで、日本がFestival of Nations の話題をかっさらっていったことは言うまでもない(だろう)。

終わって、ユニオンでくだらない動画を撮影中、一緒に写真を撮って欲しいと言われ、おみつ氏いわく、「スターになった気分」だそうだ。確かに。
家に帰って片づけをはじめたが、明日の打ち上げまでに間に合うかな・・・。
投稿者 cgoma : 23:35 | コメント (0) | トラックバック
2007年04月05日
決意
私は今までの生き方を根本的に変えなければならない。プロにならなければならないということだ。そうしなければ、私はただの凡人に成り下がってしまうだろう。
今回はまたとない機会を得た。こういうことはそうあるものではない。この機会を最大限に生かさなければ。同じ失敗は二度と繰り返さない。
投稿者 cgoma : 23:45 | コメント (0) | トラックバック
2007年04月01日
KU Japan Festival 2007
今日はKU日本祭当日。徹夜で作業を続け、リビングにドーンと置いてあったプリクラブースを解体しているとき、もう死にたい気分だった。ブースを構成する物の量が尋常でなかったからだ。これを会場まで運ぶと思うとぞっとした。
パイプ大量
2メール近くある金属製のラック
思いコンクリートブロック2個
ガレージにあるような蛍光灯ユニット2つ
デスクトップパソコン2台とそれに付随する電源ケーブル、マウス、キーボード、カメラ、スピーカー等
ルーターとLANケーブル
液晶モニタ3台(19インチx1、17インチx2)
外枠を囲む布と印刷物
けんたろう氏、ちあき氏、ディレック氏、イワン氏に物を運ぶのを手伝ってもらった。彼らには感謝してもしきれない。ユニオンに物を運び込んだ後、早速ブースの骨組みであるパイプを組み立てた。手伝ってくれたはやと氏ありがとう。この後ラックを入れ、パソコンを仕込み、接続を完了させ、最後に布で囲って印刷物を付けた。ユニオンにいる間、ずっとやってたね。ショーも自分が出るとき以外作業だった・・。
自分のプレゼン(JPN646)は、動画の再生がうんこだった。だからSにOSを再インストールしておけと言ったのに・・・。まあ、動画がスローになったのが逆によかった、トラブルをうまくかわしていいものにした、という意見があったので、よしとするか。
ワークショップが始まり、プリクラブースまわりの操作が大変だった。お絵かきステーションはあと5台ぐらい必要だったね。まあ、テクニカル的なことは後で書くとして、きちんと動いてくれたのでよかった。こんなに人が来るとは正直思ってなかったよ。ブースの前に長蛇の列ができ、かなりの話題をかっさらった(ようです)。
私が出したものはほかに、SuicaリーダーとPiviがあって、はやと氏ととしや氏に手伝ってもらった。ワークショップでは椿先生から、「また面白いものを思いついたね。ところで後継者は育ったの?」というお言葉が。カンザスシティーの日本祭でもどうかというお話だった。
しばらくしてディナーの方に行かなければならず、Hオ氏に迷惑をかけてしまった。申し訳ない。ディナーの方は、開場が少し遅れていたので、その分ワークショップにいられたのだが、行ってすぐチケットスキャナのセットアップが。セットアップ後、しばらくしてディナーの準備が整い、お客さんを入場させた。日米協会の会長さんも来ていて、カンザスシティーの日本祭で、ぜひ何かやってほしいということだった。私のプレゼンがすごく気に入ったようだった。
ディナーがひと段落して、ワークショップ会場に戻るとまだプリクラだけやっていた。9時近くになってたね。みんなに手伝ってもらってブースを解体し、荷物を車に運び込んだ。最後にパイプは捨てました。悲しいけど仕方がないね。
まあ、とにかく終わってほっとした。明日からはレビューセッションだのでまた忙しくなるなぁ・・・。木曜あたりにガツンとカジノでも行きたいね。
投稿者 cgoma : 23:15 | コメント (2) | トラックバック
2007年02月16日
台湾人 student association の新年会
HTM氏のルームメイトが台湾人ということがあって、今日の、台湾人生徒会主催の新年会のチケットを取ってもらっておいた。10ドル。5時からとなっていたので、5時ぴったりに着いたら、中は薄暗くてまだ始まっていなかった。
「うーん、まだあと1時間ぐらいかかるかもしれないけど、2階でプラプラしててね」
のようなことを言われ、上に行ってみると、ヨーヨーの練習をしている人がいたり、パワーポイントでスライドを作っている人(プロジェクターでスクリーンに映し出されていた)がいて、まだ始まらないけど、文句はないよね、マズハユックリシテタノシンデ、こんな雰囲気だった。
結局始まったのは、それから1時間半ぐらいしてからだったかな? ディナーは1階にあるから、取りに行ってくれとアナウンスがあった。料理は特に変わったものはないのかなぁと思っていたら、豚の耳と、大腸素麺(だったかな?) っていうのがあって、後者はそうめんだった。
2階に戻って食べ始め、しばらくしてからショーが始まった。最初は面白かったが、休みなしで2時間ぐらいあったので、最後は疲れてしまった。最後は1階で台湾のゲームをやって帰ってきた。
投稿者 cgoma : 21:17 | コメント (0) | トラックバック
2006年10月15日
訪れておきたい街 in Kansas
今でこそ留学について、語学留学は留学じゃないとか、辛口なことを言っているけど、私自身、留学前は結構いい加減だった。4年制大学に入る自信もなく(入るのも大変そうだし、やっていくのもそう)、最初はコミニュティーカレッジと決めつけ、気候のいいフロリダもしくはハワイを候補にしていた。通っていたトフルゼミナールのアドバイザーからハワイはぬるま湯と言われてやめ、カリフォルニアはもうちょっと熱めの湯だが、オーソドックス過ぎるし、日本人も多いからパスした。で、フロリダとなった。
でも、デイトナビーチコミカレだの、パームビーチコミカレだの、観光地のニオイのプンプンするものから、何の変哲もないところまでありとあらゆるものがあって、10校ぐらいに出願したと思う。資料請求は20校ぐらい? 届いた資料はほとんど目を通さず、部屋の隅に山積みにされていた。
もうね、どの学校にしていいか、本当に分からなかった。しまいには、親戚のいるカンザスも一応ということで、カンザス大学+AEC(AECは2週間ほどでI-20が来た)、この前日本祭があった、JCCC(ジョンソンカウンティーコミカレ)、そして、Hesston College という、ヘストンという街にあるジュニアカレッジの4校に出願した。
このヘストンカレッジに出願したということは、つまり、私はもうどうでもよくなってしまっていたことの表れだった。学校をどこにしていいか全然分からず、通っていたトフルゼミナールの講師をしていたという人が、留学生課のアドバイザーをしているというこの学校へ、トフルゼミナールの高田馬場校のなんとかっていうアドバイザーのつてで出願してしまったのだ。当時私のアドバイザーであったりんさんの表情は明るくなかった。彼女は生徒たちに自分で考え、自分で納得のいく学校を選び、と主体性を第一に考える人だったからだ。ヘストン=留学斡旋会社のしていることと同じ という数式が彼女の頭の中にはあったのだろう。
渡米(4月30日)が迫り、私はもうヘストンに行くことに8割決めていた。もう面倒なことを考えず、親戚もいるんだし、最初はカンザスでやろうということになったのだ。ただ、いきなりは面白くないので、最初にフロリダの語学学校で2ヵ月半学び、それからヘストンに飛ぶ、これがプランだった。
ただし、私も最後まで選択肢はいくつか残しておく人間である。フロリダの語学学校は、とりあえず1ヶ月しか申し込んでおかなかった。なぜなら、KUは夏学期が6月から始まるからである。KUからは合否がまだ伝えられておらず、もしかしたらそっちというふうにも考えていたのだ(今思えば、AECは終了後大学生になれるので、もうとっととKUに来てしまえばよかったのだが、ISSSの対応が悪かったので、大学全体に対するイメージが悪かったのだ)。
フロリダでの生活が始まり、やっぱフロリダは暑すぎてだめだ、最初はカンザスで世話になろう、ともっと強く思うようになり、ヘストンカレッジへの、行くんだ、という愛着のようなものも芽生え始めていた。というより、もうここでいいやねという感じだったかも・・・。
そんな折、KUのHousing Department に、寮の申し込みの断りのメールを入れたら、「KUに合格している」と伝えられたのだ(今思えば、KUのCollege of Liberal Arts and Sciences はよっぽどのことがない限り落ちるはずないので、笑い話だが)。こうなってくると、真剣に
ヘストンカレッジ vs カンザス大学
を考えるようになる。人間とは不思議なもので、この当時、私はヘストンに2年通った後は、カンザス大学に行こうと思っていたのだ。あんなにカンザス嫌だって言ってたのにねぇ。カンザス大学への思いは、合格した、という知らせを聞いてさらに強いものへとなっていた。だって、結局KU入るなら、ヘストン行く必要ないじゃん、KU受かってるんだから。
こうなってくると、ヘストンに行かない理由、がどんどん沸いている、というより欲しくなる。より一層、KUに行きたくなる為に。まずは学校のカタログを熟読してみた(今頃かよ!)。フムフム、寮には服装の決まりがあるのか、トランスクリプトは教会にお祈りをしに行かないと出ない、なるほど、ってクリスチャンの学校じゃねーか。
というわけで、KUに本決まりになったわけである。随分いい加減ですね。で、キャシー(当時カンザスにいたはとこのアメリカ人、今はいない)に電話し、KUに行くことを伝えると、
「それを聞いて嬉しいわ。だけど、私のボーイフレンドがNYで仕事が見つかったから、今月末には彼とカンザスを離れなければならないの」
・・・・・・。人生はそう甘くはない。いやだいやだ言っていたカンザスに、最終的には決まったのに(はとこがいたから、カンザスが候補に入り)、こういうオチですか。だったら、どの州でもよかったやい、などと身勝手な考えをする自分がいた。それまでのことは棚に上げて・・・。
まあいい。今となってはカンザスに行くしかなく、嫌だったら編入でどっかに入りなおせば済む話だ。とりあえずのスターティングポイントが定まったということでよしとした。
KUに着いて最初の2ヶ月(夏学期)はAECの英語の授業を取っていたのだが、家に帰ってすることといえば、エミュレーターでゲーム、という、日本と変わりのない素晴らしい生活を送っていた。合格していた様々なコミカレから来たI-20を返送することなく。今思えば、I-20なんて返送する必要ない、と思うが、トフルゼミナールからは、その学校に行かない場合は、丁寧な手紙と共に返送、という指導を受けていた(どうせこっちのアメリカ人、そのままゴミ箱行きなのにね)。
フロリダのコミカレはいい。ただ、例のヘストンカレッジは話が違っていた。ここは、
高田馬場のアドバイザー→元トフルゼミナール講師のO氏 @ ヘストン
というコネ(?)があったので、
O氏 → 高田のババア → 私のアドバイザー → 私の両親 → 私
と連絡がまわってきたのだ。O氏は私が行くといっていたのに、行かなくなったということを知らなかったから。失礼な話だ。渡米前は、もうヘストンに行くということで、O氏とメールで何度もやり取りし、予防接種から何まで、質問したりしていたのに、当の本人はエミュレーターでFFやってたのである。
ここまで暴露すると、当時の私がそうとういい加減だったことが分かるであろう。今でこそ、大学院生として授業教えたり、JSAの活動をしていたりするが、所詮人間なんて、中身は分からないものだ(今の中身は違うということにしておいてください)。
で、O氏に行かないことになりました、というメールを送ったのである。返ってきたメールからは、怒りは感じられなかったが、「まったくね、親の顔が見てみたいよ」的な空気が読めて取れた気がする。
そろそろ本題に入ろうではないか。ヘストンはローレンスから、車で数時間の位置にあり、行こうと思えはいつでも行けるのだ。この私の人生を分けたヘストンという地に(実際カンザス大学に来て人生変わったし、来てよかったと思っている)、一度行ってみたいのだ。そして、ヘストンカレッジのウェブサイトに写真が載っているO氏を、ガラス越しに一目見てみたいのである。
(勇気があれば、軽い会話などを交わせるであろう)
投稿者 cgoma : 23:32 | コメント (0) | トラックバック
2006年05月21日
2006年の卒業式
今日は卒業式だ。10時から、大学内の学長宅で、コメンスメント(卒業式)ランチなるものが毎年あって、チケットをSからもらっていた。11時半から、簡単なプログラムが始まるとなっていたが、家を出たのは12時25分ぐらいだった。着いたのは52分頃だったかな。チケットの確認はすでにやってなかったので、ランチボックスをもらって食べ始めた。お決まりの、クロワッサンサンドイッチ(マヨネーズとマスタードつき)、ぶどう、チップスだった。あと水。
食べてちょっとして、目の前にどっかで見たことあるなぁっていう人が立っていて、しばらく目があった後、向こうから話しかけてきた。かずよ氏であった。院を出たんだって。結婚してKCから通ってたから、会わなかったっていうわけ。

しばらく話した後、カンザスユニオンへ。少し涼んでSと合流して、卒業生名簿などをもらって、卒業生が並ぶ道路へ。写真を撮ったり、ビデオを撮ったりしているうちに時間になり、卒業生が歩き始めた。

撮影しつつ、Sを追ってスタジアムへ。卒業生が全員坂を下ってスタジアムに入場してから卒業式が始まるのだが、これが長い。1時間以上かけて、全員が坂を下るからね。しかも、下った後、帰る生徒も多い。
式自体はそんなに長くなく、暑いのでしばらくしてから中で休んで、最後の方にまた撮影のために席に戻った。
終わって、徒歩で帰宅しようとすると、YMK氏から電話があり、今年卒業のMYK氏やT氏、それにW氏と会った。この後は、カキ氷を食べて、イタリアンレストランで食べて帰ってきて寝た。

投稿者 cgoma : 23:44 | コメント (0) | トラックバック
2006年05月20日
卒業式前日
今日はデパートメントの卒業レセプションがあって、Sが参加することになっていた。昨日のうちに、Sの引越しをやっておく予定が、カレーのためにずれ込み、朝7時半から始めた。寝たの3時間半だよ・・・。
車で10往復とか馬鹿なことを言っていたのだが、蓋を開けてみると、3往復で終わった。私の荷物をかなり前から少しずつ運んでおいたのが功を奏した形。Sのルームメイトが、リビングにジャンクをたくさん置いておいてくれたおかげで、リビングの掃除も必要なかった。もちろん、部屋の方も、きれいなもんだよ。倉庫だからね。
午前11時のチェックアウトに完璧に間に合って、最後の荷物を降ろして、ルーチー(インド料理屋)へ。久しぶりだからよかった。で、後はSは準備に追われて、私は軽く昼寝。結局6時まで寝てしまい、急いで風呂に入って、45分に家を出て、歩いてbuding へ向かった。7分ぐらい遅刻したが、始まったばっかりだったので、余裕。最初はアワードのやつだったりするんで、面白くない。で、しばらくしてから、やっと卒業生の紹介が始まった。アジア人は少なかったね。
この後、リフレッシュメント(軽食)があるっていうんで、Wescoe の前に行ってみると、ジュースとクッキーだった。私がいるのも変だが、Dr. Orr に話があったことにすれば問題ない。実際会って、生理学のクラスの成績はどう処理するべきか、適当に話して、家に歩いて帰ってきた。
夜はインスタントの焼きそばを食べた。
投稿者 cgoma : 23:41 | コメント (0) | トラックバック
2006年04月20日
面接
今日は朝の6時にラボに行って、目的のたんぱく質を発現させる用の大腸菌を、おおきな培養液に移して、家に戻って寝て、8時45分に戻って、大腸菌がたんぱく質を発現させやすくなるお薬を入れて、Strong Hall へ。そう、今日は International Student Orientation Leader になるための面接が9時からあったのだ。
このポジションの申し込みの締め切りが3月31日で、ぎりぎりで申し込めた(日本祭の準備で忙しかったのだが)。しばらくして電話があり、面接を予約を今日の午前9時に入れておいたのだった。
ちょっと遅れて、9時1分に着いたのだが、315という部屋に行けと言われ、入ってみるとぜんぜん知らない人たちがミーティングをしていて、念のため350も見たのだが、数学の授業をやっていた。いったんISSSのオフィスに戻って待つこと数分、担当の人がやってきた。部屋は145だった。しかも、私の予約は11時15分とか言ってるし・・・。確か今日は12時半から授業があるから、9時にしたのに。どうなってるんだろうね・・・。緊張は吹き飛んだ。もともとそんなに緊張してなかったんだけどね。
面接では、5分ぐらいの軽いプレゼンをやるようにと電話で言われていて、how to apply for a visa、KU traditions、Cultural Adjustment、などがトピックスになっていて、うる覚えだったのでもう一度面接の場で確認した。すると、visa に限らず、how to なら何でもいいというので、enrollについて話すことに。でも、まずは細かい質問から始まった。
途中プレゼンをするよう言われ、ぶっつけ本番でやった。ちょっとしゃべりすぎたかな。
小一時間ほど色んな質問を受けて、終了。しかしまあ、いろんなことが口からでてきたわ。
2005年12月17日
帰国前日
いつも帰国前日は忙しい。まずやることをリストにすることから始まる。店が閉まるといけないので、とりあえず、ユニオンでクッキーを購入。
それから、ジーパンの穴が大きくなって膝が冷えてよくないから、ダウンタウンのアリゾナへ。なんか気に食わなくて買うのやめて、WalMartへ。期待していなかったら、そこそこのものがかなり安く売られていて、びっくりした。3着ほど買った。満足だ。日本の土産として、サルサソース、スパム、ケチャップも買った。
この後家で飯。揚げだし豆腐と残り物の汁物を食べた。それからビデオカメラのバッテリーを充電したり、洗濯したり、ハワイの情報を調べて印刷したりして、時間は過ぎていった。2時ぐらいから、Hオ氏とAOE。7時半ぐらいまでやっていた。それから寝て、9時半に起きて、冷蔵庫の中のものをHオ氏にあげて、なんだかんだで、10時20分頃家を出た。YMK氏に荷物を日本に送ってもらう予定だったが、時間がないので、Hオ氏に頼んだ。
投稿者 cgoma : 23:39 | コメント (0) | トラックバック
2005年06月15日
やっと終わった
今日はビザ面接の日。持って行ったものは、
新旧パスポート(古いパスポートには、有効期限を過ぎたF-1ビザがついていた)
DS-156(5cm×5cmの写真を1枚目に、ATMから振り込んだビザ申請料のレシートを3枚目の裏に貼る)
DS-157
DS-158
EXPACK 500
I-20
残高証明書(名義人の同意書付)
EADのコピー
Speak Testの結果
エッセー
クリアケース
面接予約のプリントアウト
9:15の予約だったが、大使館前に着いたのは8:45。それでももう既にかなりの人がならんでいた。しかも雨降ってたから、大変だった。大使館に入れたのは結局10時過ぎ・・・。入るときは書類を見せて(確認していたのは、パスポートと面接予約のプリントアウトのようだった)、荷物検査を受け、空港にあるような金属探知のゲートを通過した。建物の入り口のところで、持って来た書類を担当の人に渡した。古いパスポートは、もしビザがついていても、それが失効していれば、面接時に求められない限り提出する必要はないと言われた。エッセーなどは入れておいてもいいと言われた。建物に入る前に、電池で動くもの(携帯など)は電源を切り、担当の人に預けた。預けると、番号札をもらえるので、帰りにそれと預けたものを交換してもらうようになっていた。
面接はどんなところで受けるのだろうと思っていたら(英検の2次試験のようなものを想像していた)、駅の窓口みたいものが10あって、1が移民ビザ、残りが非移民ビザの面接の窓口だった。一時間以上待って名前を呼ばれ(どこどこの窓口に来てくださいと言われる)、面接官が最初に自分のパスポートを見せてくるので、間違いがないことを確認する。そして、左、右と、人差し指の指紋を取られる。この後はまた名前を呼ばれるまで待った。15分ぐらいだろうか、また名前を呼ばれた。今回が面接である。
まず、「~さんですね」と言われ、確認の作業が行われる。次に、「何を勉強される予定ですか?」と日本語で聞かれた。Biochemistry と言うと(生化学と言ったのでは通じないかもしれないと思ったから)、その後はすべて英語で聞いてきた。「今生徒なの?」 と聞かれたので、英語で2004年の5月に卒業して、OPTを始めて・・・、説明した。その後、your visa is approved とか言われて、紙切れ一枚を渡された。この紙には、ビザが届くのに1~2週間ぐらい時間がかかることと、ビザが届いたら書かれていることを確認すること、などと書かれていた。
面接の会場で(とは行っても、入ってすぐのスペースのところが待合室のようになっていて、その奥に窓口があると言う感じ。となりはtaxやらfederal なんたらのブースがあった)、同じ大学に通うF氏を見かけたので、声をかけてみた(別人かなと思ったけど)。そしたらやっぱりF氏だった。彼女は帰るたびにビザを申請しないといけないと言う(一回きりのビザらしい)。
この後、新宿で天ぷらを食べ、買い物をして、東京駅へ。大丸で、小樽と千歳空港でしか買えないチーズケーキ、ドゥーブル フロマージュ を買った。15~21日の期間限定で、大丸で売っているのだ。作っているのは、小樽のルタオという洋菓子舗。ルタオを逆から読むと、オタル。しんすけと松っちゃんが出ている番組で紹介されたのをきっかけに、注文が殺到しているという(今はどうなんだろう)。弟がその回を見せてくれて、二人とも「めっちゃうまい」とか言っていた。で、家で2つオンラインで注文したのだそうだ。でも届くのに5週間かかったとか。だから、今日は、「帰りに小樽に行ってケーキ買ってくるよ」と嘘をついて家を出たのだった。大丸の売り場で、ケーキを買ったとき、「一週間やってますからまたお越しください」みたいなことを店員に言われたので、「今日は小樽に行くって嘘をいって出てきた」と言うと、大笑いしていた。
家に着くと小樽でしか売っていないケーキを持って帰ってきたので、両親と弟は驚いていた。小樽まで飛行機で行ってきたと言うと、母親は信じているようだった。で、実際そのケーキを食べてみたのだが、そこまでおいしいという感じは受けなかった。チーズケーキファクトリーのチーズケーキを食べ過ぎているからかなぁ。あれを一回でも食べてしまっているなら、そこまでびっくりするほどのケーキではないと思ってしまうだろう。チーズケーキファクトリーのは日本にはなかなかない味だから。
帰りの電車は偶然母も乗っていて、駅からは一緒だった。美濃吉の弁当を買ってきていた。
食事の後は、お楽しみだ。今日、ヨドバシでメモリーカードリーダーを買ったので、早速AAC形式のファイルを携帯に転送してみた。やり方はこうだ。まずiTunesを使って、mp3ファイルをAACファイルに変換。拡張子を3g2に変えて、ftIndexerを使ってminiSDに書き込む。終わり。AUのカタログには、SD-Jukebox(無料版あり)を使えとなっており、そのソフトの説明には、著作権保護に対応したメモリーカードリーダーがないとだめとなっていた。そんなカードリーダーあるの? ビザのことがあったので、あんまり詳しく調べておかなかったのだが、とりあえず miniSDがアダプターなしで入り、512MBまで対応しているメモリーカードリーダーを購入した。その後、書籍コーナーで自由に使えるパソコンがあったので、ちょっと調べてみると、iTunesでもできることがわかったので、とりあえず試してみてだめなら返品しようと思った。本当は、携帯とパソコンを直接つなぐUSBケーブルを買おうと思っていたのだが、一本はMySyncとかいうソフト専用っぽいやつで、もう一本はWinとかいうノートとかにつないでネットができるようにするやつで、マスストレージ対応がどれなのかはっきりわからなかったし、もしできたとしてもこの携帯にしかつかえないケーブルを買うのはどうかと思い、前から買おう買おうと思っていたメモリーカードリーダーを買ったのだ(今までは、CFのデジカメにはUSBケーブルを挿して画像をHDDに落としたり、プリンタについているカードリーダーを使ったりしていた)。このカードリーダーでAACファイルをminiSDに書き込めて(それは問題ないだろうとは思っていた)、そのminiSD内のファイルをW31SAで再生できれば、そっちのほうが全然いい。
で、結果は、問題なくできた。完璧。アメリカに戻ったら512MBのminiSDを買おう。ただ、自分で入れた曲は着信メロディーとしては登録できない。かなり前の機種なら100KBぐらいのmmfファイルとかを登録できたのだが、今はもうほとんど無理。著作権がうるさくなったからだろう。でも、このAACファイル、音は全然いい。携帯にイヤホンをつないで聞いても全然問題ない。ただ、携帯をポータブルプレーヤーとして使うとなると、電池の持ちが気になるなぁ。
投稿者 cgoma : 21:56 | コメント (0) | トラックバック
2005年06月11日
ビザ関連
ビザ申請のための書類は DS-156、DS-157、DS-158の3種類。これを作成するのにちょっと疑問があって、大学に問い合わせたりしているわけだが、なんだか生きた心地がしない。早くすべて終わってほっとしたい。
今日は朝から The Return of the King をみた。これで指輪物語完結。午後にATMからビザ申請料を支払いに最寄のATMに行ったのだが、週末なので現金は扱っていなかった。口座を持っている他行のATMに行くと、カードがないとだめだった。家に戻ってカードと通帳を持ってまた行くと、暗証番号がわからなかった。暗証番号を変えようと、適当に何度もやっていると、カードが使えなくなった。ボツ。平日に払い込もう。
午後は昼寝。夜は大学にメール。そろそろ携帯買わないとな。
投稿者 cgoma : 23:01 | コメント (4) | トラックバック
2005年05月09日
F-1ビザ
今じゃあビザを取るのには面接があるそうで、オンラインで予約を入れることになっている。で、その予約を入れた日に必要書類を持って大使館に行って、面接を受けるんだと。
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2005年02月18日
ホッケー・お別れ会・パーティー
今日は、疲れた。。。
まず、ホッケー。ぎりぎりでチケットが取れた(体調悪い、一緒に行く人が行かないとか言い出す等いろいろあって、キャンセルしようと思ったけど、チケット発行済みだというので、行った)。初めてホッケーの試合を生で見られてよかったと思う。全部で51人参加したらしい。団体ということで18ドルのチケットが10ドルになり、5ドルでTシャツがついてくる。ということだったのだが、Tシャツは配布されなかった。どうなってるのかなぁ? ローレンスからの参加者は、ガソリン代などを込みで20ドルだったみたいだけど、某部にくらべると高いなぁ。

ホッケーから帰ってきたのが11時頃。友人の寿帰国祝賀会のためにちゃちゃっとアスパラ、マッシュルーム、サツマイモ(てんぷら作る為)を買って、家へ。赤飯も炊いた。これがけっこううまくいった。赤飯って簡単。時間かかるけど。小豆はローレンスでも買える。もち米:うるち米=5:1 で作った。桜餅(試作品)も作った。夏次郎氏は角煮を持ってきた。こんど某部でこてこて和食ポットラックでもやりたいね。

しばらくして、Y宅での大規模パーティーへ。人の数がすごかった。神大生(一ヶ月の短期留学)もほとんど全員来てたんじゃない? Yと久しぶりに話したね。そういえば、前にカラオケのやり方を教えたっけ。なんか全画面表示ができなかったみたいだったけど。そうそう、カラオケは4年ぐらい前、ここじゃ面白いことがないから、お世話になったカラオケ好きの先輩を喜ばせようと思って、俺がパソコンでできるやつを寮で始めて、それから、周りがやるようになってきたんだよね。そろそろちゃんとしたカラオケ屋がKCにできてもいいような気がするけど。
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2004年10月17日
偶然って怖いね
昨日、Maple Leaf から帰ってきたあと、くたくたで昼ねしてしまった。起きたらHオ氏が青ざめていた。
試験の7割がそれから出るっていうプログラム、もらい忘れた~
かなりやばそうだった。試験は月曜。なんでも、フロッピーをあらかじめ教官に渡して、それにプログラムを入れてもらっておく、ということだったらしい。早速教官に電話・・・。出ない。仕方ないのでメール。
そのあとジェードで食べて、また電話。出た。「クラスメートにもらいなさい」
・・・・・。
Hオ氏は、家からクラスメートに電話すると言って帰っていった。
実はこのクラスメート、ローレンスに住んでいる。今日の昼、「Hオ君、うまく彼と連絡とれたかな~?」と、夏次郎氏とマックで食事をしていると・・・、
あれ? あれって、Hオ君のクラスメートじゃん

そう、彼がマックに来たのだ! 急いでHオ氏に電話。Hオ氏の話によると、結局誰も電話に出ず、プログラムはもう無理だとあきらめていたらしい。そこで、今、マックに来ていて、偶然クラスメートがいることを夏次郎氏がHオ氏に伝えた(私の携帯は電池切れ。ツカエネー)。それで、そのクラスメートの彼に電話に出てもらうことにした。
最終的に、彼がプログラムをHオ氏にメールで送ることになり、Hオ氏はかなり感激した様子だった。いやあ、よかったよかった。実は全然マックなんか食べたくなかったんだけど、今いろいろ当たるモノポリーやってるから行ったというわけ。(ドリンクやフライにシールが貼ってあって、いくつか集めるとホームシアターセットとかが当たる。$1 million もあって、それが目当て。)
今日はいいことしたなぁ、、、と思ってHオ氏のサイトを見てみると、
あ。教科書まだ買ってねぇや。(テスト前夜)
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Λ||Λ
( / ⌒ヽ
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∪ 亅|
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∪∪
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‐ニ三ニ‐
ダメジャン
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2004年10月10日
愉快なOLSON一家へお邪魔しました。
今日はOLSON家へお邪魔した。以前からトミーさんにお会いしたいなぁと思っていて、知人の紹介で、やっとそれが実現したわけだ。
トミーさんって、若いなぁ。
午後3時過ぎに訪ねたので、もちろん私は昼食は済ませていた。着いたとき、トミーさんは 「ビーフ&ヌードル」を作られていた。3時間も煮たそうである。このときは一家の食事の邪魔になってしまうと思ったが、トミーさんがどうぞとおっしゃったので、これを逃すわけにはいかない、と思っていただいた。実は1時間ほど前に昼食を食べたばかりだったのだ。
うーん、おいしいなぁ。トミーさん曰く、「ヌードルがすいとんみたいになっちゃった」 だったが、私は、「あ、これすいとんっぽくてうまい!」だった。
その後は旦那さんにすすめられて、ファーレンハイト9/11を見てしまったので、あまりトミーさんと話す時間がなかったのだが、帰りにお土産まで頂いて、本当にいい方だなぁと思った。もっと早く知り合っておけばよかったな。今度ポットラックとかやりたいですね。トミーさんはお子さんが二人いらっしゃるので、どこかに出かけて食事というのは難しいだろうから、今度の旅行部のポットラックは@OLSON家? それにしてもかわいらしいお子さんたちで、本当に愉快なOLSON一家だった。 → 

お土産に頂いた 「ビーフ&ヌードル」 マッシュトポテトと一緒に食べるとさらにうまい
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2004年10月09日
友人の結婚式
今日は友人の結婚式に行ってきた。場所は Topeka, KS にある教会。色々あって、少し遅刻してしまった・・・。
結婚したのは、S.B. と、Y.N. さん。とても幸せそうだった。Sとは、4年前に McCollum でいろいろ馬鹿をやったなぁ。彼は音楽をやっているので、ピアノを弾きあったりしながら色々話した。4年前、Yさんの部屋に行って、パソコンをみてあげたことがそういえばあったなぁ。虫歯が多くて大変だといつも言っていたYさんは、当時はSとは交友関係すらなかったように記憶している。二人が結婚するという話を聞いたときには正直驚いた。数ヶ月前にYさん宅にお邪魔したときに、純白のドレスがかけてあったのだが、今日着ていたのがそのドレスだったのだろう。

お幸せに
近々私の別の友人の結婚式があって、ぜひ参加したいのだが、なにせ彼女の結婚式は大阪で行われるので、参加はほぼ無理だ。招待状だけは送ってくれるそうだ。日本の今の若い人の結婚式ってどんなのなんだろ。
投稿者 cgoma : 23:53 | コメント (2) | トラックバック
2004年08月28日
MOJO'S
昨日はHオ氏と夏次郎氏がお泊りだったので、今日の昼は飯でも行きますか、ということでお決まりの、「まだ行ったことない店でくう」を実行。
行き先は、ダウンタウンのMOJO'S。ローレンスで一番うまいWINGSを出すとか出さないとか。最初はWINGだけ食べる予定だったけど、ウェイトレスもシルバーウェアもちゃんとしてたので、別のものも頼むことに。
WINGは20本で$9のやつを注文。ソースは何ていうやつだったか忘れた・・・。けどなかなかうまかったなぁ。水曜は一本30セントだそうで、今度また来ようと思った。
Hオ氏はホットドッグ、S氏はハンバーガー、夏次郎氏はターキーサンドイッチ、私は、MOJO GRILL とかいうチキンサンドイッチ。どれもうまかったみたい。

投稿者 cgoma : 23:21 | コメント (0) | トラックバック
2004年05月29日
完了
こんなのヘルシーじゃない、ファイヤーハザードだ。こりゃだめだ。これが朝にルームメイトが言った言葉。リビングの荷物の置きようが気に入らなかったらしい。しょうがないな。リビングにある荷物はほとんどが私のものだけど、これあなたのって聞かれたとき、違うって言っちゃったし、今日の夜までに量を半分にするなんてテキトーなこと言っちゃったからやるしかないね。
そういうわけで、いるものといらないものをかなり分け、荷物を減らした。さらに、リビングに置く荷物を減らすために、ベットルームのベッドの上にも暫定的に荷物を置いた。そうでもしないとやばかったからね。
そんなこんなでだいたい終わり、洗濯を始める。二人分で、洗濯機9台、乾燥機9台まわした。ぜーんぶ終わったのは夜中の12時過ぎ。それから家で飯を食い、家に電話し、旅行の荷造りをはじめた。ね、眠い。
投稿者 cgoma : 23:09 | コメント (0) | トラックバック
2004年05月25日
最終日
4時半にローレンスを出て、5時半ぴったりに空港に着いた。チェックインを待っている間に父にカードを書く。チェクインの際、I-94がパスポートに挟まっていないことを指摘され、その場ですぐに書類がでなかったHさんとMさん。Mさんはスーツケースをチェックインカウンターの前で開ける羽目に。それでもない。Hさんはさほどあわててはいない。私がI-94がないとどうなるかと聞くと、シカゴでOfficalと話さないといけないといわれた。
その後、後ろで二人が書類を探し始める。Hさんはすぐにでてきた。Mさんはスーツケースの中をよーく調べたら出てきた。かなりあせってたね。そんなことをしてたら(軽い朝食も買った)、ゲートの前にかなり列が出来ちゃって、あと30分で出発なのに、大丈夫かなと思った。その間にカードを書く。間に合うかな。
しばらくして、シカゴ行きはこっちに並んで、と男が言って、みんなもうゲートの中に入ってしまうような雰囲気だったので、とりあえず、父にだけ書き終わったカードを渡しておいた。そしたら案の定すぐにみんなゲートに入ってしまった。
!!!早くあと4枚書かないと!最後の方はなぐり書きになってしまったが、なんとか書き終えたので、警備員に手渡してもらうように頼んだ。中を調べられ、mail とか言いながら、父に渡した。
まあ、とんだハプニングで、写真撮影どころじゃなかったね。みんあが無事に飛行機に乗ったので母に電話して、ローレンスに戻った。帰りは眠すぎたので、音楽を最大音量で流しながら帰ったけど、ウェストローレンスのexitを逃してしまった。
かえってすぐ寝たら、父から電話でシカゴに着いたという。その後また電話があり、ターミナルの移動が終わり、あとは国際線に乗るだけだと言う。そしてまたねた。気付いたら1時。やばい。12時半までに車を返すことになっていたのだ。すぐに起きて、ガソリンを入れて、レンタカー屋へ。もう1時半ぐらいだった。ちょっと遅れましたというと、Don't worry aobut it. と言われかなり安心。もう一日分払うことになるかと思ってたから。
その後引越しを始める。とはいっても荷物をとりあえずS美の部屋に入れるのだ。前の日にウォルマートでもらってきたでかい箱がかなり役立った。最初のうちはだらだらやってたけど、気付いたら5時半で、あと3時間しかないことが判明。それからがすごかった。ごみも必要なものも全部ごちゃまぜで片っ端から箱に入れては運び出し、なんとか全て終わった。その後掃除。チェックアウトの8時半には間に合わず、一時間ほど延ばしてもらった。で無事にチェックアウト。2年も住んだ部屋を6時間足らずで出てしまったのがすごい。
そのかわり、何にもなかったS美の部屋のリビングは、すべて荷物で埋まった。
投稿者 cgoma : 22:57 | コメント (0) | トラックバック
2004年05月24日
4日目
今日はカンザスシティー観光。
まず、鉄板焼きか普通の日本料理屋がいいか聞くと、どっちでもいいけど、うまいほうっていうとで、鉄板焼きは夜も遅くなるし、クラウンセンターの歌舞伎に行くことになった。前の日にはあきちゃんに電話して聞いたし。
最初にカンザスシティーのダウンタウンを案内。お決まりの噴水で写真撮影。その後、クラウンセンターへ。クラウンセンターは私も初めてだった。だからまよった。運良く歌舞伎を見つけ、ほとんどに人は、Kabuki Special をオーダー。ウェイトレスの二人は日本人。卒業のことを言うと、Congratulations と言われた。味はまあまあだった。カンザスにしてはうまい方?
食事のあとはクラウンセンター内でショッピング。卵のかたちをした猫の置物を母への土産とした。その後ユニオンステーションへ。グランドセントラルみたいだった(シカゴだっけ、NYだっけ?)。テレビの撮影やってたなぁ。その後プラザへ。みんな降りたくないとか言ってたから、そのままオリエンタルマーケットに行こうとおもって走らせたけど、やっぱりチーズケーキファクトリー見せたかったから、戻った。Eさん以外思い思いのケーキを頼む。「おいしい、こんなの日本にはない」 やら、「あますぎる」 やら、「生クリームが多いね」 やら、いろいろだったけど、みんな満足した様子。
それからオリエンタルマーケットで、父が弟にシンラーメンを買う。私は納豆とか油揚げを買った。実は次のみんな帰るから、おいなりさんを作ってもって行こうと思ってたんだけど、結局時間なくてだめだった。
ローレンスについてすぐにひどい雨になり、ホテル(今日だけダウンタウンのエルドリッチホテル)の前に着いたけど、雨がひどくて降りられないから、私が6月から住むアパートを見に行くことにした。時間をつぶそうってことで、それがアパートにつくなり雨がやんだ。私と父でアパートを見に車を降りる。父はデジカメで写真を撮っていた。そこで私の携帯が鳴る。母だ。家の浄化槽のポンプがいかれたとの事。
その後エルドリッチホテルにチェックイン。部屋はリビングもあり、これで99ドルは安い。夕食はテラーズへ。近いし雰囲気もあるからってことでそこに決めた。メニュー選びがかなりたいへんだったけど、私がすべて紙に書き出してなんとかできた。父はしょっぱくてあんまりたべられなかった。。。
あしたみんなにカードを送ろうと思って、みんなと別れたあとウォルマートへ。そんなわけで一時間しか寝られなかった。しょうがないか。
投稿者 cgoma : 22:56 | コメント (0) | トラックバック
2004年05月23日
3日目
朝は迎えに行ってからまず、KUのビジターセンターに連れて行った。学長の家がどこにあるか聞いて、写真撮影。いったん家に戻り、ランチのチケットを探すも見つからず、泣きそうになった。結局机の後ろに落ちてた。
お昼は学長宅でコメンスメントランチ。といってもボックスにサンドイッチとぶどうが入っているだけ。その後ユニオンで飲み物を買った後、卒業式の会場のメモリアルスタジアムへ。ここはフットボールのスタジアムだ。屋根はない。
席に案内したあと、私は卒業生がならぶ場所に移動。S介とH氏と会った。KUでは卒業式に、カンパネル(鐘がついている塔)の下通って、岡を下ってスタジアムに入っていく。3人でそれをした。両サイドはずーっと人が続いている。私はビデオ撮影をしながら下っていった。
式が始まり、いろんな人が話していた。最後らへんで、スクール長がこんな学位を与えます、チャンセラー(学校長)、と言い、スクール長が全部それを言い終わった後で、学校長ヘミンウェイがそれを認定した。その後校歌を歌って式はおしまい。
式のあとみんなで写真撮影していたら、ご一行が消えた。さがしてもいないので、S介の親父さんとお姉さんに会い、それから車に戻ると全員乗っていた。車をだすも、どうもしっくりこないので、スタジアムに戻って写真撮影を開始した。誰もいなかった。少し気がまぎれる。
その後、スーパーで夕食の食材を買う。私はおばに、ここのスーパーで売っているもので何がつくれるか考えてもらうよていだったが、何を食べたいかわからないと困るということで、結局ハンバーグ、エビフライ、コロッケ、肉じゃがに決定。残念ながら酒屋は7時で終わりだった。
家についておばが、これじゃあ、テレビに出てくるごみためのオバヤンの家だと言う。あのちらかりようはひどかったね。キッチンも汚かったし。引越し前だからしょうがないけどね。
そんなこともあって、料理ができたのは10時過ぎ。それから食べはじめて、私の幼少時代の話でもちきりだった。一行が帰ったのは12時過ぎだった。この日は楽しかったね。
投稿者 cgoma : 23:16 | コメント (0) | トラックバック
2004年05月22日
二日目
今日はご一行に大学案内と市内観光
まず、Dole Instituteを見学。みんなゲストブックにサインしていた。次はMcCollum。10階の窓から写真撮影。エレベータがきたないと言っていた。次はEllsworth。ここは一番新しいので、みんな気にいった様子。ここに住めば?と言われる。次はHaworth。多草川先生のラボの前でしゃべっていると、なかから日本人が。そのごMalottで、奨学金をもらったときの名前のプレートを見せる。何名か涙。その後Anshutzの前を通り、Budingのコンピューターラボを見せ、車でStrong Hall へ。学長のオフィスの前まで行く。ドリンク休憩。その後カンザスユニオンで買い物。父はTシャツなどを買っていた。私は卒業証書を入れる額を買ってもらった。
昼食はダウンタウンのインディアパレス。っていうか昨日も行ったし。ひとりのおばは、カレーと言ったらいい顔をしなかったが、実際食べてみて大満足だったようだ。全員満足していたのでよかった。
午後はまず初めにノースローレンスにあるビジターセンターへ。ちょうど貨物が通過した。次はアムトラックの駅。閉まっていた。ボーダーズでトイレ休憩。その後ターゲットでクッキーやビーフジャーキーを買う。ここでおばが足の悪い人用の電動車椅子に乗った。私も初めて乗った。
その後Clinton PWYとKasoldのジュースストップで各自ジュースを飲んだ(FさんとEさんはシェア)。次はお決まりのクリントンレイク。写真撮影。母と弟が来たときは気温が低くて見るどころではなかったが、今回はかなりいい気候で、みんな喜んでいた。その後ホテルにいったん戻り、私は家で着替えて、キングバッフェで夕食。
7時半から、Division of Biological Sciences のレセプション。!!!!!!7時半ぴったりに着いたら、もう始まっていた。実は7時からだったのだ。先生のスピーチをかなり逃した。来年忍び込もう。入ってすぐ、「卒業生は並んでください」のアナウンス。
名前を呼ばれることは知っていたけど、一人ずつ前に出て、学部長と握手するなんて知らなかったよ! 私の番がきた。父がビデオ、S美がデジカメ、H氏が使い捨てカメラで撮影。
その後、リフレッシュメントが用意されている部屋で教授と写真撮影。Dr.G. に実験室に入れてもらえないか頼むと、研究費がないからきびしいけどあとでメールしてとのこと。ちょっと不安。Dr. Orr とも話した。彼のラボに入れたらすごいだろうなぁ。
皆さんを送って行って、寝た。明日は卒業式だ。
投稿者 cgoma : 22:55 | コメント (0) | トラックバック
2004年05月21日
ご一行様ご到着~
今日はクリントンがKUに来たんだけど、父とおば4人が来ることになっていたので、クリントンのレクチャーには参加せず、空港へ。
空港に行く前にインディアパレスでカレーを食って、ちょっと胃がもたれた。ここんとこ生活リズムがてんでばらばらだったから。6thのエンタープライズで8人乗りのバンを借りて空港へ。携帯に父から何回か電話があり、飛行機は遅れているとの事。私が事前にアメリカン航空のウェブサイトで、フライトステータスが変更されたら携帯に通知されるようにしておいて、そのメッセージではゲートが変更になったっていうことだったけど、そんなでかいバンを運転し始めたばっかの時に電話があったから、あわてててゲートのことを言い忘れて、それから電話がなかったから、ちょっと不安だった。
空港で確認すると予定より1時間遅れで、あと30分ぐらいで到着するようになってた。カメラを構えて待つこと30分、でてきた。最初おば3人が出てきて、それから父ともうひとりのおばが出てきた。カンザスまでくるのが大変だったという。
荷物を受け取ってローレンスへ。ついてすぐユニオンであったInternationla Students向けのレセプションに参加。立食形式の簡単なパーティーと言ったかんじだった。そこで校歌を歌って写真撮影をした。
そのご、E'sで夕食。私が言って料理を取ってもらい、それぞれに渡した。味はまあまあだと言っていた。
それから、宿泊先のハンプトンインに行って、宿泊料金の1630ドルを払ってチェクイン。高すぎ。部屋でおみやげをもらった。特に、母からの赤飯とジェイホークの押し絵はよかった。弟からの食料品もうれしかった。弟からはPS2のドラクエ5ももらい、メモリーカードにはメッセージが入っていて、大泣きしてしまった。
投稿者 cgoma : 22:54 | コメント (0) | トラックバック
2004年05月20日
最後の試験
今は朝4時。最後のファイナルの勉強を始めるもなかなか集中できない。もうノートはつくってあるので、それを覚えればいいのだが、どうしてもインターネットやったり音楽を聴いたりしてしまう。そんな中、紙切れに「この4年間なにやってきたんだろう」と書いた。なんか4年もアメリカにいてなーんにもなしえてないなぁなんて気になったから。
で、そのあと何気なくKUの行進曲や校歌を聞いているうちに涙があふれてきて泣いてしまった。思い起こせば4年前、卒業できるとは思ってなかったなぁ。涙が止まらない。さっき書いたことをペンでがーってやって消した。
試験は10時半から。前半はなんなく解けたが、後半は事業をサボりまくった部分からの出題で、わからないのが多かった。でもなんとか終わった。
連弾をする予定になっていたA子氏から連絡がなく、部屋の片付けでもしようと思って何気なくBiol665(さっき試験があったクラス)のウェブサイトをみたら、もう試験結果と成績がでていた・・・・・。
成績はA。ぎりぎりのA。ファイナルであと一問まちがえていたらBだった。ありがとう、多草川先生!!
投稿者 cgoma : 22:54 | コメント (0) | トラックバック
2004年05月19日
ファイナルはじめ
7時半からBiol672(Gene Expression)のファイナルがあった。できはまあまあ。分からない問題はなく、最後に覚えた図が丸ごと描かせる問題があり、かなりラッキーだった。アメリカらしく、教室に入るとクリスピークリームのドーナツがいっぱいおいてあった。
試験後すぐにBiol700のパートナーと会う。そう、今日はこのクラスのファイナルプロジェクトもdueだったわけだ。お決まりで印度人が遅れてきた。J氏もかなり切れていたね、この印度人のせいで。まあなんとか2時ぐらいに終わり、3時が期限のホームワークを出しに行った。
家について、Hオ氏にS美の車をジャンプスタート(バッテリー同士をつないでエンジンを始動。厳密には供給される側のバッテリーの-端子にはつながず、車体につなぐのだが)してもらって、その後インペリアルガーデンで夕食。食いすぎで帰って来て速攻で寝る。
起きて朝の4時ぐらいから最後のファイナルのBiol665 (BiochemistryⅡ)の勉強を始める。
投稿者 cgoma : 22:53 | コメント (0) | トラックバック
2004年05月04日
バイオな人たち
私は今、College of Liberal Arts and Sciences (CLAS) Divison of Biological Sciences という所の属している。前は CLAS Department of Chemistry だったが、3年次に生化学に専攻を変えたため、こっちになった。それにしても、なんで Department of Biology がないんでしょうね、KUは。そのかわり、院には、Department of Molecular Biosciences なんて頭でっかちなやつがありますけど。まあ、全部 Haworth Hallに入ってるんで、関係ないですけど。
そのHawrothにラボを持つファカルティーについてちょっと。まず1人目は、ドクター田草川。日本人です。今私が取っている Biol665 BiochemistryⅡ 担当。私が専攻を化学から生化学に変えたとき、Haworthで初めて話した先生。アメリカ人からは、発音やアクセントを指摘されることもあるようだが(私も人のことは言えないけれど)、私にはまったく問題ない。何を言おうとしているのか手に取るようにわかる・・・。まあ、日本人同士ですから。セメスターにある試験は5つに最後のファイナル。ちょっと多め。ただし、試験の2~3日前には 「すぺしゃるれびゅ~」というものがあり、でる問題を全部教えてくれる。しかも選択肢の内容まで。後はその辺を勉強すれば試験はだいたいOK。でもちゃんと分かってないと難しいですけどね。
次は、私のアドバイザーのドクターグーゲンハイマー(生化学)。ちょっと発音が難しい。最初ドイツ人かと思ってた。そしたら列記としたアメリカ人。通称、ドクタージー(Dr. G.)。やたら細かく、要領が悪いところがあり、いつも生徒を苛立たせる。私はそんなところが気に入ってるんですけどね。よく試験の日にドロンしてしまう。それで後から、「TAに試験はないって言っておかなかったっけ? ジー」なーんて言う。軽いおとぼけキャラです。
最後はドクタービュフナー(微生物学)。彼の授業は本当に面白い。生徒参加のパフォーマンスやら、彼のトークやらで、もったいないからミスしたのは1回ぐらいかな。「わいせつ写真(obscene pictures)見たい?、はいこれ」 と言ってスクリーンに映し出されたのが、性病にかかってひどくただれた男女の性器ときたもんだ。もちろん学術的なものだからモザイクなんてあるわけはない。その後一言、"Enjoy your lunch!"
左 Dr. Fusao Takusagawa
中央 Dr. Peter Gegenheimer
右 Dr. Matthew Buechner
写真は、The University of Kansas Department of Molecular Biosciences のウェブサイトから引用しました。

投稿者 cgoma : 22:33 | コメント (0) | トラックバック
2004年04月23日
WesternCivなんて楽勝だったよ
一般教養の授業、たとえば English とか、Western Civilization などは、KUで取るよりも近辺の Community College で取ったほうが安上がりで、難易度も低いので、我々にとってはメリットが多い。必須の科目で、自分にとってはどうでもいいものなんか、1単位300ドル以上もするKUで取ったって、金の無駄というものだ。
ただし、KUで取ったほうがレベル的に上で、為になったという例もある。私は English 101, 102, 210 をKUで取ったが、English 101 はKUで取ってよかったと思っている。現在Community College で English 101 を取っている人が近くにいるので、何をやっているのか教えてもらったのだが、レベルがAEC並であることは間違いないだろう。ライティングスキルなんてどうでもいいし、とっとと終わらせたい、という場合なら、Community College で取っても全然構わないが・・・。
私が夏に Western Civilization を取った 某 Community College は、老夫婦がクラスを担当していた。WC1は、某ドラクエ漫画のダイ大冒険の大魔王○ー○と同名の翁が、WC2は、「うらら、うらら」を歌っていた山本○○ダと同名の嫗が教えていた。
WC1は、オジチャンの話を聞いてればOK。寝てても何にも言われない。出席はなぜか授業が半分終わったところで取る。試験はテイクホーム・・・。Midterm は1ページのペーパー2本、しかもダブルスペース。ペーパーのお題はオジチャンのリストにあるやつから1個と、自分たちで考えたやつから1個選ぶ。アメリカ人が自分たちで考え出した題は、「歩兵の役割」「槍と楯の役割」など、中学生レベル。私はメソポタミア文明とエジプト文明の違いを書いた。Finalも同じ形式。
WC2は、最初に教科書(とはいってもオバチャン編集のテキストのコピー集)を1人1パラグラフぐらいの割合で読んで、その後書いてある質問にグループで答える。分からなければオバチャンが全部教えてくれる。これが終わったら、ビデオ鑑賞会。毎回違う映画を見る。不思議の国のアリスとかね。試験はテイクホームのペーパー1枚。ダプルスペース。つまりMidterm 1枚、Final1枚。
成績は楽勝のA。こんな授業でもちゃんとKUにトランスファーされたから不思議だ。
