2009年11月12日
道徳の授業で娘が美しくない
「道徳」という科目が中学まではあった。教科書にはちょっとした話が載っていて、毎回ひとつをピックアップしてやっていたとの記憶がある。
中学校1年の道徳の授業で、娘が不治の病になり・・・、という話があり、詳細は忘れたが父親が苦心して何かを行い、奇跡的に娘が助かった、というのが内容だったと思うが、同級生と面白がって、自分の考えをまとめるお題に対して私は
「娘が美しくない」
と書いてしまった。これは本文に「美しい娘」という記述があり、しかしながらその娘のイラストが美しくなかった為である。ほかにもいくつか似たようなこと書いた。これを見た担任教諭Tのコメントは、
「こんなこと考えてるのね」
であった。私はそれまで被っていた猫を降ろし、通信簿の右ページに△が増えたというわけだ。
まあ、こんな過去はどうでもいいとして、ひとつ記憶に残っている話がある。主人公は小学生ぐらいのクソガキで、両親と母方の祖父母と同居している。つまりはオヤジは婿養子だ。祖父母に甘やかされ、とんでもないわがままなクソガキは、家庭内で何をやっても許される。オヤジは婿養子の為、祖父母が寵愛する自分の息子に対して厳しいことは一切できない。
そんなある日乞食が家にやってきた。食べ物を恵んでくれという。そこでクソガキはその乞食に与える為に、なにか食べるものを地面に放り投げた。するといつもはおとなしくしているオヤジに手をあげられたのである。その後オヤジは祖父母に「孫を叩くなら年寄りを叩け」などと言われ存在感が更に小さくなった。はいそれではなぜ父親は子供を叩いたか、みんなで考えてみましょう、というような話である。
「祖父母に対する長年の鬱憤を晴らす絶妙の機会が訪れたから」 「結婚する相手を間違えた自分と、何一つ実りのない結婚生活から抜け出す勇気もない自分への苛立ちがピークに達したから」などという回答をした覚えはないが、こういう道徳の教育は今思い返すと重要だったなぁ、と思った。中国だったら、オヤジが叩いたことのなぜ?を考える前に、「叩いたオヤジが悪い」、「そうだそうだ」、となるんだろうか。今度誰かに聞いてみよう。
投稿者 cgoma : 21:53 | コメント (6) | トラックバック
2009年06月07日
名前検索
ふと、高校のときのクラスメートの名前をGoogleで検索してみたら、外科医になっていた。先をこされたなぁ。
たまにやるでしょ? 名前検索。これで一人特徴的な人を思い出した。昭和天皇崩御の日、うちに遊びに来て一緒にマリオ3をやったM君である。彼は現役で東大へ進学した。
さて、彼とは塾で一緒だったのだが、頭角を現してきたのは中学の頃だろうか。私は地元の塾に5年生から通っていて、彼が入ってきたのは中学の頃だったと思う。私も彼も、一番上の特進クラスというクラスにいた。
月1回だったかな、塾の5教科の一斉テストがあって、それで上位に入ると図書券がもらえるしくみになっていて、M君や私はいつも図書券をもらっていた。上位に食い込まなければ図書券はもらえないので、特進クラスでも全員がもらえるわけではない。塾は校舎がたくさんあるから、大人数との競争となる。
クラスはレベルで結構分かれていて、4つぐらいあったんじゃないだろうか。で、そのM君である。彼は非常にストレートにモノを言うので、波風を立てることが多かった。で、下のレベルのクラスの人が彼を刺激するようなことをしたか言ったのだろう、それに対して彼は、
「おめーらが払ってる授業料が、俺の図書券になるんだよ!!」
す、すごい。中学生でここまで言えるとは・・・。確かにその通りなんだけれども、自ら不要な敵を増やしてしまう発言はしなくてもいいんじゃないの、心にしまっておけば、と思うところだが、彼のすごいところはそれを口に出して言えてしまうところである。そういう意味で私は彼に一目置いていた。もしこの発言を、下のレベルのクラスに在籍する生徒の親が聞いたら、いたたまれない気分になるだろう。
余談になるが、小学校3年生の時、彼はテストで全部100点を取る、という目標を立てていた。目標を一人ずつ紙に書いて廊下に張り出してあるやる、よくやったでしょ? それを見た私は、100点の部分を0点に書き換えてしまうという、いたずら坊主であった。
日本に帰ったらまた色々話したいね。
投稿者 cgoma : 15:47 | コメント (0) | トラックバック
2009年05月09日
バラエティー生活笑百科
上海のアパートには、日本の地上放送が見られるチューナーがある。私は日本にいる時はテレビはほとんど見ない人間なので、別になくてもよかっただが、外国にいると、アメリカにいた時もそうだが、ちょっと見たくなる。でも、見るものと言っても、ワールドビジネスサテライトぐらいである。上海は一時間早いから、10時から始まるので、夜遅くならなくてちょうどいい。
で、今日の昼にふとテレビをつけてみると、バラエティー生活笑百科が始まったところだった。この番組、私が小学生の頃から毎週見ていた番組だ。法律と漫才が一緒に楽しめる。ま、肝となる部分は最後の弁護士の見解の部分だけなのだが、そこにたどり着くまでのどうでもいいやりとりがなんともいえない。
小学校6年生の時の話だが、ビデオに録画したこの番組のオール阪神巨人の漫才を丸暗記して、友人にも覚えてもらって、父親のビデオカメラを借りて、クラスメートを題材にした報道風の番組をつくり、その中にオチを変えたバージョンを取り込んだことがあった。学校の体育の授業中に、この企画の考えがあれこれ浮かんできて、楽しくて全く授業に身が入らなかったのを今でも覚えている。
早く好きなことだけやっていられる生活がしたい。ま、今でも半分ぐらいは実現されているが。
それにしても、大阪城の堀でイタリア人が流しスパゲッティーはねえだろう。
投稿者 cgoma : 12:52 | コメント (0) | トラックバック
2008年05月05日
こどもの日
起きると柏餅があった。どうやら弟が5時に起きて買ってきたらしい。近くの和菓子屋で先着100名に赤飯のサービスがあって、それをもらうためだったようだ。
お昼は田舎蕎麦の店で、ミニ天丼と月見そば。最近贅肉がついてきたので、ちょっと食には気をつけている。天丼をたのんでおきながら、どうも食べる気がしなくなって、食べ終わった月見そばのつゆのなかに天ぷらを入れて、衣をはずして食べたのだが、その後のつゆがこれである。

胃の中がこうなっていたと思うと怖い
その後、夕飯の買い物で近くのスーパーに寄った際、一角にあるゲーセンでゲーム。

1回目は失敗したが、2回目と3回目でゲット。下に落ちて穴に入らなかったので店員を呼んだのだが、スーパーで大の大人はあんまり呼ばないよなぁ。

これ取った
夕食後は弟が帰ることになっていたので、給料から1万あげた。父と母にも。あと、弟にプリンタを買ってやる約束をした。忘れないうちに手配しないと。
んでまあ、夜中ビラ作成。今日は片面(内側)の印刷を終わらせて、3am頃寝た。

そういえば、今日はこどもの日。弟とのこと色々思い出すなぁ。
小学生の頃の話だ。一時期、ゴムでできた直径2cmぐらいの吸盤がはやったことがあって、それを寝ている弟のおでこにくっつけた。朝弟が起きると、おでこに変な吸盤がついていて、取ったらその部分が内出血みたいに赤くなって、こんなんじゃどう考えても学校に行けない、ってことで休む事になり、母にこっぴどくしかられた。
また寝ている弟にいたずらだ。家の救急箱の中にはアンモニア水があって、それを嗅ぐと鼻がツーーーンとなることは知っていたので、それを、糸がつながったティッシュを丸めたものにに染み込ませて、天井のフックに糸をかけて、ソファーで寝ている弟の弟の鼻の付近に糸をゆるめると落ちるように、寝ている弟を起こさないようにソファーを移動。
で、部屋のドアから一歩出た辺りから、糸を持つ手をゆるめると、スーっとアンモニアのティッシュが降りてくる。鼻の辺りまできたときが緊張の瞬間だ。弟は鼻がツーンとなり、ビックリして起きる。とその瞬間、糸と勢い良く引き、ティッシュを持ち上げる。
弟は何が起きたのか分からないが、とりあえず鼻がツーンとしていることに驚きつつも、また寝入ってしまう。そこで、ティッシュをある程度まで下ろし、落下地点と鼻の位置が合うようにソファーの位置を微調整し、同じことの繰り返し。
2回目、ツーンとなった後に糸を引いたのだが、フックの部分で糸がからまったのか、つっかえてしまったのだ。弟は飛び起きると、目の前にティッシュを丸めたものがぶら下がっていたので、これが鼻がツーンとした原因だと分かり泣いて怒り出す。そこに母が帰ってきてしまい、部屋にはわめく弟、天井からは糸が垂れ下がってその先にはへんなティッシュがくっついてて、また私が変な事やって弟を困らせたと母は一瞬で悟り、それがアンモニア水を使った非道なものだと気付くやいなや、こっぴどく怒られたのである。
あとは寝ているときに、顔によだれを塗ったりしたこともあったなぁ。いたずらとは関係ないが、こどもの日に遊園地に弟と近くの遊園地(すでに廃業)に行ったことは覚えている。行く前に、最寄り駅の新聞配達屋で入場無料券をもらい、電車とバスで移動し、遊園地内で、ボンヌとかいうリポビタンCみたいなドリンクを買ったっけ。
あ、あと、弟と隣町のスイミングスクールに通ってて(バス通い)、ちょっとかったるいから、スクールについて、見学申請出して、トイレで水着とタオルをそれらしく濡らして、歩いて自宅まで戻り、頃合をみはからって「ただいま」と帰ってきたこともあったっけ。
どれも小学生の頃の思い出である。
投稿者 cgoma : 23:33 | コメント (0) | トラックバック
2007年05月24日
電子回路2
さて、自分の部屋を宇宙船/ラボのようにする、という話の続きだが、中はどうなっているかというと、天井に黄色の回転灯が設置されていて、コントロールパネル(金属のボックスにスイッチ類をつけたもの)にはすべての回路・機器がつながっているという状態だ。例のドアの施錠・開錠システム、時計、回転灯、それに非常ベルである。
回転灯と非常ベルはそれぞれ好きなときに作動させることができる。時計は時間をセットでき、スイッチひとつで、その時間に回転灯と非常ベルを作動させることができる。つまり、このふたつが目覚まし代わりとなっていたのだ。朝7時ごろ、けたたましい、ジリリリリーンという非常ベルの音によって目が覚め、あたりを見回すと非常事態を知らせるかのような雰囲気が黄色の回転灯によってかもし出されている。まったく不快な目覚めとしか言いようがない。
私はよく浴槽で寝る癖があって、そう、あの日も朝方まで寝てしまった。突然、非常ベルの轟音が聞こえ、目が覚めた。あたりは明るくなっている。しかし、風呂から飛び出て部屋に戻り、非常ベルを停止させる気には到底なれない。そうだ、ブレーカーを切ってシステムをダウンさせよう、そう思い、脱衣所にあがり、すぐそばにあるブレーカーを切った。切ったブレーカーは家の北側に配電をおこなっているものなので、これで静かになるはずだ。しかし非常ベルは鳴り止まない。おかしいな、こんなはずはない。バックアップの機能などないのに。そこで、すべてのブレーカーを切ってみた。それでも鳴り止まない。
ふと目が覚め、今までのことは夢であったと気付く。しかし非常ベルは鳴っている。ブレーカーを切るとぴたりとやんだ。そして私は浴槽へと戻っていったのだ。
さて、この厄介な目覚ましシステム、父親が、「会社で火事があった時みたいに錯覚を起こすからヤメロ!!」と言われ、使われなくなってしまった。高校時代の話である。
投稿者 cgoma : 23:31 | コメント (0) | トラックバック
2007年05月23日
電子回路1
私の実家の私の部屋は、北側の6畳の部屋で、家族はこの部屋を、「北六畳(きたろくじょう)」と呼んでいた。弟と一緒に使っていた時期もあるが、ほぼ私の部屋であったと思う。
さて、自分の部屋では何かと親にかくれてやるものである。私が隠れてやっていたことは、電子回路作り、つまり、ハンダごてで抵抗やらコンデンサやらを基盤にハンダ付けしていくという、アレである。母親が部屋に入ってくる直前、本などで隠すのだが、ハンダのにおいでばれる。
「またそんなんやってー!」
これでしばらくは製作ができなくなるわけだ。別に禁止するようなことではないのに、それではなぜ電子回路作りを母親が好まなかったと言うと、ハンダごての電源を入れっぱなしにして、火事になることを恐れていたからだ。ちなみに、これは小学生の頃の話である。
さて、話はとび、高校の頃となる。トンカツ屋からのバイト収入があったので、秋葉原で数万円分のパーツを買ってきた。これは、自分の部屋を宇宙船/ラボのようにするためのものであった。電子回路のキットで面白いものがあって、カードリーダー(光学式なのが痛いが)と暗証番号入力のものを買った。両方ともリレーをドライブさせるものだ。部屋のドアの右側に、これらを埋め込みんだユニットを設置した。
ユニットと簡単に言っても、キットは基盤及びキーパットだけなので、他はすべて作らなければならない。写真がないのが残念だが、プラスチックのボックスを加工して作った。そして、壁にドリルで穴を開け、屋根裏に入り、壁と木の間の隙間に磁石をつけた糸を垂らし、穴からも糸をつけた磁石を入れ、上からの糸を穴から取り出して配線用の銅線を結び、屋根裏に戻って糸を引き、銅線をたぐりよせた。
さて、カードリーダーにカードを通す→暗証番号を入力 この次は何が来るかと言うと、リレードライブの回路だ。そしてその回路は、ソレノイド及び赤と緑のランプにつながっている。ソレノイドはドアの鍵の役目を果たす。ドアは実は引き戸で(しょぼいなぁ)、ソレノイドに通電すれば、開錠(棒が持ち上がってドアがフリーになる)、電流を停めれば施錠(棒が落ちてくる、このとき、ドアが閉められていないと、棒が床に落ちるというみっともないことになる)、というわけである。
廊下から見ると、ドアの右にカードリーダーと暗証番号入力用のパッド、ドアの上には、赤と緑のランプユニットがあって、今は赤が点灯している。カードを通して暗証番号を入力すると、ランプが緑に変わると同時にドアが開錠、中に入ることができる。中に入ると、施錠、開錠のボタンがあって、好きなときに施錠、開錠ができるというわけだ。
こんなものをよく設置させてくれたと、親に対して思う。カードリーダーのユニットと、赤と緑のランプユニットは、ドリルで壁に穴をあけて配線を行い、その後壁に固定したのだから。夜には、息子の部屋の前で怪しく光る赤いランプが嫌でも目に入るのだ。私も私で、トイレに行くたびに施錠・開錠していた。言い忘れたが、外からはボタンを押せば施錠が可能だ。
うちには猫が3匹いるので、洗濯物を干すときなど、猫を私の部屋に閉じ込めておくのにこのシステムが利用できると母に説明を行ったが、どうも使われなかったようである。そしてそのうち、私も使わなくなってしまった。高校2年の冬の話である。
さて、この前実家に帰国したとき、システムが忽然と消えてなくなっていた。どうやら、壁のリニューアルを行ったらしく、業者が、「なんでこんな変なものが壁に設置されているんだ、この家は・・・」と不思議がっていたそうである。
投稿者 cgoma : 23:50 | コメント (0) | トラックバック
2006年07月06日
そろばん塾
夜な夜なSと長話をしてしまうことがあって、今日は小学校のことなどを話した。
Sと比べると、私は随分違うなぁと思う。彼女の場合、放課後は男子に混じってサッカーや野球をして楽しんだらしいが、私の場合、放課後は弱気な生徒を誘って、近道して帰ったり、どんないたずらをしたら面白いか考えたりと、スポーツとは無縁であった。
過去のことを思い出さないといけないなぁ、と最近思うようになって、ふと思い出したのが、通っていたそろばん塾。わかたび珠算塾というのだが、教室がなんと、パーマ屋の待合室だった。
私の母は教育熱心だったので、私の友人で勉強の出来る子の母親に勧められるがままに、私は珠算塾に入塾させられた。おそらく、小学校4年生頃だったと思う。そろばんをやっていると、暗算が得意になるし、学校の算数でそろばんを使う授業があるので、そのときに困らないように、との母の配慮があったのだと思う。
で、その塾だが、私の実家の近所に、「おかむら美容室」というおんぼろ美容室があって、そこで授業が行われていた。この美容室、外見が非常に興味深い。便所はボットンで、地下に埋められたタンクから、直径30センチぐらいのパイプが、地上に斜めに突き出しているのだ。私は何度このフタを開けようと思ったことだろう(実際、開けたことがあったかもしれない)。ちなみに、汲み取り屋はこのフタを開けて、中の汚物をホースで吸い出す。
美容室は、入るとまず靴を脱ぐ。椅子は3つぐらいあって、真ん中の椅子の真後ろに、廊下へとつながるドアがあった。その廊下を進むとボットン便所、途中、左側に6畳ぐらいの畳の部屋があった。この部屋に、学校などによくあるような机と椅子が、長方形に並べられていた。今思うと、何が楽しくてこんなところでパチパチそろばんなんか弾いていたのだろう、と思ってしまう。ひどいときは、入ると、おかむらさんが、どっかのババアのカットをしている最中、ということも度々あった。
生徒は、私の友人とその姉、美容室の娘、私が高校から通いだしたピアノ教室の息子(授業料の滞納が続いていた)、そして私、であった。教師は、車でやってきて、時々遅刻していた記憶がある。彼はそろばんは出来るのだろうが、なぜか知的な感じを全く受けない男だった。子供会(地域の親子による交流会)の遊園地の遠足か何かの話になった時、女子生徒に、ブラジャーの中に5千円ぐらいのお小遣いを隠し持って行けばいい、とか言っていたっけ。
入塾して1年ぐらい経って、私の弟も入塾することになった。その時、一緒に別の生徒も入ってきて、その子が鼻血を出したときのことである。こともあろうか、教師はその子の後頭部を何度も叩いていた。鼻にティッシュを軽く詰めて、うつむくようにしていればいいのに、とは私は言い出さなかったが、馬鹿だなぁとだけ思っていた。
この小学生の身で、毎週何回かこんなボロ美容室の待合室で、パチパチやっている自分を思い出すと、なんと主体性のない人間だったか、と思わされる。親の言うなりに通い、出来る子を演じ、終わったら「さようなら」と言って帰る。それの繰り返しである。
こんな変化のない毎日に希望を与えてくれたのは、私がしでかすいたずらだったのかもしれない。とある日、私は一番で教室に着いたので、蛍光灯のグローランプをちょっとばかしずらしておいた。今でこそインバーター方式が主流になり、グローランプがない照明器具は多くなったが、当時、蛍光灯の照明には、グローランプというものが必要だったのだ。これが駄目になると、蛍光灯は新品のものでも点灯しない。
で、ほかの生徒と教師がやってきた。案の定、教師は蛍光灯がだめになったと思い込んだ。記憶が確かではないが、2本中、1本のグローランプをずらして、薄暗い教室で授業が始まったのだったと思う。もしかすると、真っ暗で授業が中止になった、だったかもしれない。このことを家で話すと、父が次の授業のときに、私がずらしたグローランプを元に戻しに来た。教師は、「これが原因だったんですね、どうもありがとうございます」などと言っていた。ばか。
まあ、そんなこんなで続けてはいたのである。しかし、もうやってられなくなってきた。そろばん自体、全く面白くないのである。家にはワープロがあって、私はマニュアルを見ながら、父でも使いこなせない機能を覚えていったりして、そっちの方が断然面白かった。小学校で、劇の台本はワープロで作ったし、個人の新聞の作成なんかも、実際の新聞をまねてワープロで作っていたりしたのだ。私の母は、このあたりで間違いを犯したのだと思う。そろばんなんて、とっととやめさせて、当時はよっぽどのことがないと持つことのない、パソコンでも買い与えていればよかったのだ。
私は、そろばんをやめたくて仕方がなかった。父は無関心なので、母をどう納得させるかが焦点となった。私は事あるごとに、そろばんがこれからの時代役に立たないこと、スーパーなんてみんなレジだし、八百屋か何かにでもならない限り、将来、そろばんを使うことなんてないということ、暗算ができるからといって、格段有利ということはないということ、などを挙げて母を説得しようとした。しかし、うまくはいかなかった。私の友人の母親に誘われて私を入塾させ、私がその子に追いつくこともなく、辞めさせてしまうことに抵抗があったのだろうか。
そんな時である。塾教師が、これからは塾本部で授業をすると言い出した。本部は車で片道20分以上かかるところにあって、教師は最近ミニバンを買ったというのだ。そろばんで儲けた金で、である。実際、1回行ってみたが、なるほど、きちんとした塾であった。こっちはパーマ屋の待合室である。本部にはパソコンもあって、算数が学べるようなプログラムが入っていたと思う。どうせやらなければならないものなら、環境のいい場所でやったほうがいいに決まっている。だが、教師の車で移動、というのは面倒に感じられた。
ところが、これが母への最後の一押しとなったのだ。母が言うには、近いところでやっているから、通わせたのに、毎回送り迎えで40分も車に乗せるなんて、危なくてやってられない、ということだった。私のおばが家に遊びに来ていたとき、おばは私の考え(そろばんが将来役に立たないこと、これからはパソコンなどの時代になるということ)に大賛成で、この送り迎えが決定打となって、遂に母は退塾の許可を出したのだ。この日、お祝いということで行ったレストラン「しもつけ」のハンバーグが、冷凍モノだったのか、クソまずかったのを鮮明に覚えている。
それにしても、今思えば、ダダをこねて休んだり、家を出てもフラっとゲーセンとかに行かなかったのは不思議だ。ちなみに、今ソロバンを弾けと言われても、足し算引き算はかろうじて出来ても、掛け算割り算はどうやってやるのか、思い出すことすらできない。
投稿者 cgoma : 23:29 | コメント (5) | トラックバック
2005年06月25日
部屋の掃除
今日は実家の自分の部屋の掃除をしていたのだが、出てくること出てくること。変なものが。
まずは小学生の時に書いた遺書。確か3年生ぐらいで書いたはず。それから、きったねー漫画。塾の先生をネタにしたもので、理科のノートに描いてあった。
中学校の物では、担任とやりとりしていたノートが出てきた。ある日のメッセージで、「クラスの皆さんにご迷惑がかかってしまうので、ピアノ伴奏は○○さんにお任せしようと思います」だって。いい子ぶってんじゃねーよと。
高校の物は、鬱だったこともあり、変な私記がたくさんでてきた。面白かったのが、自分の感情を能の面に置き換えて説明したやつ。面のイラスト付きだった。模試の結果表もあった。東京大学理科Ⅲ類 E判定。あとは美大が書いてあった。
そうそう、色んな雑誌に混じってとある雑誌が。これは幼稚園が一緒だった地元の同級生がたまたま出ているっていうんで買ったやつだ。名前は酒井○幸。芸名は酒井○菜。このときはまだ芸能界入りしていなかったみたい。芸能界に入った後も、成人式には普通に来てたっけ。
いらないものをまとめた後、机をひとつぶち壊した。細かくしないと持って行ってもらいないんで。
投稿者 cgoma : 23:20 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月20日
水少年ドラマ版
今日は、Water Boys のドラマ版(1のほう)全話をみた。映画より面白かったかも。男子校のよさがうまく表現されていた気がする。
いやあ、自分も高校のとき思い出に残ることやっとけばよかったなぁ。やったことといえば、近くの川の水質調査(1年生の時は一人で)、講堂で一人でピアノを弾いてた、バンドのベースやるのを断った、勉強やめた、自分の部屋(和室)から洋室に改装工事した、ぷろざっく飲んだ等々。仲間と何かやるっていうのはなかったなぁ。もし今高校時代に戻れるなら、思いっきりスポーツをやりたい。水泳とかいいね。小学校6年間習ってたし。あ、でも高校のプール取り壊されてたっけ。orz
いやいや、過去は過去。早速明日ジムに行こうかな。S介氏よりは長くやるぞー。