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2007年04月30日

渡米して7年 思い出話(アメリカ最初の夜)

今日で私が渡米してからちょうど7年が経つ(ちょっと前のメールで8年て書いてしまったが、計算しなおしたら7年だった・・・8年目ということにはなるが)。7年前の4月30日。友人(後にワイオミング州のコミュニティーカレッジに行くことになる)に見送ってもらって、京成成田駅からスカイライナーに乗った。空港に着くまで、ノートパソコンで卒業アルバムのデジタル版を完成させた。高校卒業後、留学予備校のトフルゼミナールに入り、有志2人が卒業旅行を計画し、卒業アルバムまで作ってくれた。私はウェブサイトや掲示板を作って、コミュニケーションを活発にしたわけだが、最後の仕事として、ひろみ、ごろうさんが作ってくれた卒業アルバムをデジタル化したのだ。

成田到着後、公衆電話から電話回線経由でFTPを使ってファイルをアップロード。見事完成となった。見たい方はこちら

空港には、両親、弟、おば4名が来ていた。出国審査に向かうエスカレーターの所で(見送りの人が見えなくなるところあるでしょ?)、涙が出そうになったがこらえた。行きたくないという気持ちが強くなっていたのだと思う。期待なんてゼロだった。まあ、出発日が近づくにつれて、徐々に行きたくねーなぁっていう気持ちが強まったんだけれども。

乗り換えはシカゴ。入国審査で、I-20のコピーをいらないもんだと思って出さずにいたら、それもいるってことが分かり(審査官に、「これも」って感じで取り上げられたので)、後で焦った。税関を通過後、荷物を預けるところがあって、よく分からずに預けてしまい、ちゃんと届くのか心配になって、別のターミナルに移動した後、戻ってみると、入れないようになっていて(一方通行)、焦ってカウンターで聞こうと思って、とりあえず、サバイバルイングリッシュなる本を見たけど、例文が載ってなく、辞書で荷物はbaggage、luggage どっち使ったらいいんだろう???? となり、結局適当な英語でカウンターで聞いた。そしたら、問題ない、というようなことを言われ、本当に通じたのか、荷物は大丈夫なのか、すごく不安になって落ち込んだ。

乗り継ぎ便は、フロリダ州フォートローダデール行きだ。とりあえず1ヶ月、ここのEmbassy CES という語学学校に通うことになっていたからだ。着いて、baggage claim に急いだ。空港出迎えサービスなんて頼んだのは忘れていた。無事に荷物が見つかり、ほっとして出口に向かうと、大男が話しかけてきた。なんだろうと思ったら、私の名前が書かれた札を持っていたので、出迎えサービスに頼んでいたことを思い出した。

そとはもう夜。そういえば、飛行機から街の様子が見えたなぁ。大男は色々話しかけてきたが、私は応対している余裕があまりなかった。どこをどう走っているのかわからないうちに、家の前に着いた。ホストファミリーの家である。希望として、「動物(猫or犬)がいる家」としておいたのだが、ふたを開けてみると、オバヤン+でかい犬という組み合わせだった。つまり、ハズレ。で、月800ドル。

ドアを開けると、オバヤンが出てきた。オバヤンが、結構どうでもいい格好だったが、別に不思議に思うことはなかった。オバヤン曰く、「あと1時間後に来ると思ってたわー、バブバブ」 へんな訛りがあった。

家に入り、靴を脱がなくていいのか、一応確認してしまった。オバヤンの息子が以前使っていたという部屋に通され、荷物を置いた。腹は減っているかと聞かれ、何か作ったんだろうと予測できたので、「yes」と言うと、ガーリックトーストを作るという。香ばしいガーリックの香りと、フランスパンのサクサク感の見事なハーモニー・・・なんて期待できるはずもなかったのだ。出てきたのは、おろしガーリックがこれでもか!と乗っかったガーリックブレッド。これじゃあ、ガーリック&ブレッドとでも呼べそうだ。

仕方なく食べた後、むかつく胃を押さえ、実家の玄関の鍵を見て枕を濡らした。これが私のアメリカでの最初の夜だった。

とまあ、こんな感じである。あれから7年。自分でも随分成長したなぁと思うよ。さて、今日は、「あ、そうだ! 今日で渡米して丸7年だ!」ということを思い出し(明日だと思っていた)、何かお祝いをしようと思ったが、金もないし、私は部屋の片づけをして、Sに餃子を作ってもらうことにした。

7年前の自分と話ができたら、面白いだろうなぁ。7年後の今日、お前はゴミ袋7つ捨てて、餃子食ってるよって。しかし、人間はどこでどうなるか分からないもんですね。だから面白い。

投稿者 cgoma : 23:18 | コメント (2) | トラックバック

2007年04月27日

仕込み

明日はJSAの選挙を兼ねたバーベキューがあるので、学校帰りにオリエンタルマーケットに行って、カルビの肉を仕入れてきた。戻ってきてから、HTM氏も合流して食材の買出し。

アメリカでバーベキューというと、つまりはハンバーガー and/or ホットドッグを意味する。ハンバーガーは、最低レベルの場合、冷凍の牛肉パテをグリルで焼いて、パンにはさんでおしまい。まあ、これに加えてケチャップぐらいはあるだろうけど。ちょっとグレードアップすると、レタス、トマト、チーズなどが追加されるが、これ以上はありえない。ホットドッグの方は、fully-cooked (加熱なしでも食べられる) の肉を、グリルで温めて、パンにはさんでケチャップ&マスタードで終了。とまあ、こんな感じだ。

これだけじゃあ面白くないのは当たり前である。そこで、私の独断で今回は焼肉と焼き鳥もやることにしたわけだ。

焼肉に使う肉は、ローレンスでは手に入らない。オリエンタルマーケットで冷凍でいいものがある。それを半解凍状態で薄切りにし、もみだれで下味をつけ、焼いた後、つけだれでいただく。これでそこそこのものが食える。現地で手が汚れてはいやなので、肉の1/4ぐらいをもみこんで、後はそのままにした。現在夜中の3時なので、全部もみこんでおいて、明日お昼に焼いて、しょっぱかったらどうにもならない、というのも理由にはあった。


焼肉用の肉


さて、焼き鳥の方は、タレでてこずった。これだ!というレシピを見つけ、その通りに作ってみたが、しょっぱすぎてとても使えるシロモノではなかったので、結局オリジナルのを作ることに。いつもそうだが、人が作ったものはぜんぜん当てにならないね。


焼き鳥用


仕込みが全部終わったのは朝の6時過ぎだった。しかしまあ、参加するだけの人は楽でいい。私の場合、自分の体を持っていって参加するだけ、ということが極端に少ないので、時々、「人が作ったものに参加するだけ」を楽しみたいと思ったりするのだが、実際やってみると、全然楽しくないのだ。楽しむ前に、自分だったらこうやる、だとか、ここがダメだ、とかいう考えが浮かんでしまう。これは使える、と思うことも。よく考えてみると、自分で何かをやる為のネタ探しのために参加しているんだ、という結論に達した。

人が楽しめるものを創り出す側と、人が作ったものを楽しむ側。私はいつも創り出す側にいたい。

投稿者 cgoma : 23:57 | コメント (0) | トラックバック

2007年04月13日

北が期限までに行動を起こすとは思えない。

投稿者 cgoma : 23:30 | コメント (0) | トラックバック

2007年04月11日

釣り堀

今日は有志と釣り堀に行ってきた。誘われたYK氏には、道中、「釣った魚をすぐに調理して食べられるアメリカ人に人気の釣り堀」ということにしておいた。なんでもこの釣り堀のメインはザリガニだそうで、ほかにもトラウトやらキャットフィッシュ(なまず)がよく釣れるそうだ(ザリガニは網で取れるらしい)。魚だけではアメリカ人にはつらいので、屋台のような感じの店がもあり、そこでは牛肉を焼いて売っている。ちなみに、魚が釣れなかったら、魚売り場から魚を買って、自分で調理するのだそう。

YK氏は、「濡れませんか」との質問が。ディナーということで、おめかしをしてきたのに、一張羅を汚されてはたまらないと思ったのだろう。ちなみに、YK氏の顔は不安と恐怖でゆがんでいた。来てしまったことを後悔しているようでもあった。

で、着きました。着いてびっくり、屋内の釣り堀だ。今日はあんまり並んでなかったが、支払いを済ませてからがちょっと長かった。中からは水の流れる音が聞こえる。流れる水のそばのスポットはちょっと臭いので避けたい。

通されたスポットは、釣り場からはちょっと離れていたが、まあ満足できるレベルだ。早速釣り場へ。新しいブツが投入される直前だったので、それを狙って釣竿でエイリアンの足を捕獲した。エイリアンはすでに解体され、茹でられているのですぐに食せる。

足のあとは肉だ。担当者が中国系で、焼きが甘かったり、ぜんぜん焼けていなくて、数名から文句が出ていたが、釣り堀内では肉は無限に増殖しているので(水曜と木曜だけ)、破棄してしまって構わない。しかしながら、破棄する際は多少の申し訳なさを心にとどめておくのがポイントである。

さて、釣り堀内では、足と肉以外にも様々なものが釣れるので、好きに釣っていくことになる。甘いものが欲しければ、乳汁を酵素で凝固させ、脱水・成形したのち、微生物の作用で熟成させたものをメインに使ったものをはじめ、種子植物の花が受精し、その子房および付随した部分が成熟したものに至るまで、様々なものが釣れるので、迷ってしまう。OMT氏は、様々なものを釣って、ちょいと一口やって、あとは眺めていた。贅沢だなぁ。ただし、すべてのアイテムは無限増殖しているので、残してしまってもあまり気にしないほうが精神衛生上好ましい。

ふとYK氏を見ると、胃から脳へ送られるシグナルによって、恍惚の表情を浮かべていた。TSY氏は腹腔が異常に膨らんでしまい、命の危険を感じて排泄行為へ、OMT氏は胃の形が手でさわって分かるほどになっていたという。

それにしても恐ろしい釣り堀だ。私はベルトを少しきつめにしていおいたので、何とか被害を最小限に食い止めたが、NOT氏は最後の最後で釣り堀に財布を落としてしまった。うまくいくとお金も無限増殖とまではいかなくとも、ある程度増殖させられるのだが、どういうわけか今日はまったくだめで、セメスターが終わるまで、現金19ドルで過ごすそうだ。

さて、これを読んで釣り堀に行きたくなった人はすぐに連絡下さい。ちなみに、全員大満足で帰ってきました。

投稿者 cgoma : 23:02 | コメント (0) | トラックバック

2007年04月07日

日本祭打ち上げ

今日は打ち上げだ。うちでやることになっていたのだが、片付けが終わったのが7時半過ぎだった・・・。でも、片付けが終わった頃から人が集まり始めたのでよかったよ・・・。

Hオ氏が早速れんこんのきんぴらを作ってくれた。私はクラッカーにサーモンを乗せた様なやつとエビフライを作った。フードセクションのOMT氏、YK氏に、またえびの皮むきとか手伝ってもらって、お疲れ様会なのに、申し訳ない。Hオ氏も。忙しいのに・・・。

自分の方も、片付けの時に重い金属製のテレビのラックを組み立てたり、クソ重いビールやらワインやらを運んだせいで、ぎっくり腰のようになっていたので、HTM氏とOMT氏にマッサージしてもらった。12時頃に軽く写真撮影。


このあとカラオケからプリクラに移行した。今回はブースはなしの即席プリクラ。


少しずつ人が帰っていき、午前3時頃には有志だけの状態に。そこで始まったのが桃。かれこれ7時間半はやったね。終わったのはお昼でした・・・。きついなぁ。

投稿者 cgoma : 23:59 | コメント (0) | トラックバック

2007年04月06日

World Expo 2007

4月には、International Awareness Week という毎年恒例のイベントが、ISA(International Student Association)主催で行われている。このweekには、月曜から土曜まで、ほとんど毎日何かのイベントがあり、金曜の午後には、様々な国の生徒がブースを出す World Expo、そして夜には Festival of Nations というショーが行われる。

このWorld Expo、小学生が多く訪れるので、自分の国をアピールするのはもってこいである。私はこのイベントに、かれこれ4年も続けて出ている。去年までは自分の家からテレビまで運んで・・・。今年はテレビが確保できたし、Sビデオ入力つきのものが用意されていたので、家から運ぶ必要はなかった。

ISAも、早いうちにISSSのメーリングリストなどを通じてイベントの告知をすればいいのに、しないから、知っている人しか知らないイベントになっていることだろう。それよりも、私が危惧するのは、私がKUからいなくなってしまった後、ちゃんと毎年やってくれる人がいるのか、ということだ。私は、自分の身を切ってでも、日本祭をはじめ、World Expo のような、日本をアピールできるイベントに心血をそそいでしまう。それは、私がやらなかったら誰がやるのかというのと、日本について理解を深めて欲しいという二つの理由がある。

まあいい。今年は日本祭の残り物があったので(SuicaリーダーとPivのフィルム)、展示することに。後はたらこダンスを液晶モニタで流して(デスクトップパソコン持参)、テレビにはみんなのテニス。


小学生をはじめ、大人の来場者にも、suicaとpiviを通して日本の技術を、折り紙などを通して伝統文化を伝えることに成功した(と思う)。こういう地道な作業が日本への理解を深め、彼らにとっては日本を好きになるきっかけとなり、最終的に親日派を増やすことになる、と信じてやるわけだ。

日本人はもっと自分の国、文化に誇りをもって、外国人に語れるようにならないといけない。


さて、World Expo が終わりに近づいた頃、一番よかった国のブースはどこでしょう、という投票が行われ、日本は見事2位に輝いた。1位はサウジアラビア。お茶やお菓子を出して、かなりのスペースを取ってやっていたので、当然といえば当然だろう。日本も何か食べ物を出せたらいいね、来年は。


Expoの後は、Festival of Nations の担当者と打ち合わせだ。なんと、たらこダンスがまたできることになったのだ。ショーに出る予定だったグループのうち3組がキャンセルし、空きができたので、入り込めたのだ。最初はパスタソースの説明とたらこダンスの予定が、10分くれるというので、ぎりぎりになってパワーポイントスライドを変更し、suica→トイレ→たらこダンス、とした。日本祭で私がやったプレゼンの前半をカットしたわけだ。

今回は、服の下にたらこダンスコスチュームを着て、着替えに時間を取られないようにした。プレゼンはかなりの笑いを取ったが、たらこダンスが始まると、ちょっとシュンとしたかと思ったが、なんとか乗り切れた(動画は後でアップ予定)。前半は太鼓、後半はたらこで、日本がFestival of Nations の話題をかっさらっていったことは言うまでもない(だろう)。

終わって、ユニオンでくだらない動画を撮影中、一緒に写真を撮って欲しいと言われ、おみつ氏いわく、「スターになった気分」だそうだ。確かに。


家に帰って片づけをはじめたが、明日の打ち上げまでに間に合うかな・・・。

投稿者 cgoma : 23:35 | コメント (0) | トラックバック

2007年04月05日

決意

私は今までの生き方を根本的に変えなければならない。プロにならなければならないということだ。そうしなければ、私はただの凡人に成り下がってしまうだろう。

今回はまたとない機会を得た。こういうことはそうあるものではない。この機会を最大限に生かさなければ。同じ失敗は二度と繰り返さない。

投稿者 cgoma : 23:45 | コメント (0) | トラックバック

2007年04月03日

心臓の絵

今日はDr. Orr がやるレビューセッションに顔を出してみた。100人ぐらい来てたね。レビューというより、質問セッションになっていた。

明日は私がレビューを3時間やる予定だが、質問セッションでは面白くないので、マテリアルをgo over するわけだが、それをやるにはそれなりの準備が必要になる。で、心臓の絵がさらりと描けるように練習してみた。

ネット上に僧帽弁形成術の動画があったので、しばらく見ていたのだが、何で今自分が医者じゃないんだろうと思ってしまった。14歳の時の作文に、外科医になると書いたのにね。

投稿者 cgoma : 23:23 | コメント (0) | トラックバック

2007年04月02日

日本祭後の燃え尽き症候群

去年は、日本祭後に燃え尽き症候群のようになって、一週間ほど何も手に付かなかったのだが、今年はならなかったね。

今日は5時からのオフィスアワーズはどうしても外せなかったので、疲れきった体にムチを打って学校へ。生徒は予想通り来た。木曜試験だからね。ちょっと前までプリクラだのあれこれやっていたのが、心臓やら肺やらの説明をしているところにギャップを感じたが、それももうすぐ終わりを告げる。

今週金曜には、World Expo がある。このイベントに向けて、簡易プリクラを出してやろうと今から画策しているっていうんだから、本当に懲りない馬鹿だなぁと自分でも思う。

思い起こせば現JSA会長のHTM氏と会ったのが去年のこのイベントだったから、一年経つのは早いもんだなぁ。来年の今頃は何をしているんだろうね。KU Japan Festival 2008 に、スポンサーとして参加したいね。

投稿者 cgoma : 23:12 | コメント (0) | トラックバック

2007年04月01日

KU Japan Festival 2007

今日はKU日本祭当日。徹夜で作業を続け、リビングにドーンと置いてあったプリクラブースを解体しているとき、もう死にたい気分だった。ブースを構成する物の量が尋常でなかったからだ。これを会場まで運ぶと思うとぞっとした。

パイプ大量
2メール近くある金属製のラック
思いコンクリートブロック2個
ガレージにあるような蛍光灯ユニット2つ
デスクトップパソコン2台とそれに付随する電源ケーブル、マウス、キーボード、カメラ、スピーカー等
ルーターとLANケーブル
液晶モニタ3台(19インチx1、17インチx2)
外枠を囲む布と印刷物

けんたろう氏、ちあき氏、ディレック氏、イワン氏に物を運ぶのを手伝ってもらった。彼らには感謝してもしきれない。ユニオンに物を運び込んだ後、早速ブースの骨組みであるパイプを組み立てた。手伝ってくれたはやと氏ありがとう。この後ラックを入れ、パソコンを仕込み、接続を完了させ、最後に布で囲って印刷物を付けた。ユニオンにいる間、ずっとやってたね。ショーも自分が出るとき以外作業だった・・。

自分のプレゼン(JPN646)は、動画の再生がうんこだった。だからSにOSを再インストールしておけと言ったのに・・・。まあ、動画がスローになったのが逆によかった、トラブルをうまくかわしていいものにした、という意見があったので、よしとするか。

ワークショップが始まり、プリクラブースまわりの操作が大変だった。お絵かきステーションはあと5台ぐらい必要だったね。まあ、テクニカル的なことは後で書くとして、きちんと動いてくれたのでよかった。こんなに人が来るとは正直思ってなかったよ。ブースの前に長蛇の列ができ、かなりの話題をかっさらった(ようです)。

私が出したものはほかに、SuicaリーダーとPiviがあって、はやと氏ととしや氏に手伝ってもらった。ワークショップでは椿先生から、「また面白いものを思いついたね。ところで後継者は育ったの?」というお言葉が。カンザスシティーの日本祭でもどうかというお話だった。

しばらくしてディナーの方に行かなければならず、Hオ氏に迷惑をかけてしまった。申し訳ない。ディナーの方は、開場が少し遅れていたので、その分ワークショップにいられたのだが、行ってすぐチケットスキャナのセットアップが。セットアップ後、しばらくしてディナーの準備が整い、お客さんを入場させた。日米協会の会長さんも来ていて、カンザスシティーの日本祭で、ぜひ何かやってほしいということだった。私のプレゼンがすごく気に入ったようだった。

ディナーがひと段落して、ワークショップ会場に戻るとまだプリクラだけやっていた。9時近くになってたね。みんなに手伝ってもらってブースを解体し、荷物を車に運び込んだ。最後にパイプは捨てました。悲しいけど仕方がないね。

まあ、とにかく終わってほっとした。明日からはレビューセッションだのでまた忙しくなるなぁ・・・。木曜あたりにガツンとカジノでも行きたいね。

投稿者 cgoma : 23:15 | コメント (2) | トラックバック