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2006年11月03日
とある猫との出会い
ひょんなことから、2時からのミーティングにMに送っていってもらったのが、これから長い付き合いになるpatとの出会いだった。Mはいつもは送っていってくれないのだが、「帰りに猫見に行こうと思ったんだけどなぁ」と何気なく、Mを釣る為だけに言った言葉。これがきっかけだった。
ミーティング後、Mに迎えに来てもらい、シェルターへ。約束を破るのも悪いと思ったからだ。今日は子猫がいる方から見ることにした。何匹か見ていると、特徴のある子猫がいた。立ったまま、別の子猫の背に顔を埋めて寝ている子がいた。なんとかわいかったことか。その猫を檻から出して、だっこしてみると、肩の上まですぐに上ってしまった。
ここで私はあることを思い出したのだった。それはもう20年も前のことである。
小学校2年生の私は、学校からの帰り道、自宅近くのごみ置き場で、一匹の猫を見つけた。ダンボール箱に入った小さな子猫。母が猫好きということを知っていたので、私は箱ごと家に持って帰ってきてしまった。猫好きとは言っても、母に猫を飼う意思がないことも知っていたが、このときはあまりよく考えずに持って帰ってきてしまったと思う。
母はかわいいねぇ、でも飼えなんだよ、などと言っていたが、その猫のかわいらしさから、最後には、「明日の朝まで外にちゃんといたら飼おう」ということになった。
で、次の日の朝。その猫は庭にちゃんといて、めでたく母の許可も出て、飼えることになったのである。その時の嬉しさと言ったらない。早速家に入れ、私は毛糸で猫におもちゃを作ってあげた。
さて、この日は祖父か祖母の誕生日か何かで、親戚一同が集まって食事をすることになっていた。猫を家においておくわけにも行かず、おとなしいいい子なので、一緒に連れて行くことになった。猫を見た祖父は、「賢い猫だ」のコメント。肩にちょこんと乗り、爪を一切立てないのだ。祖母も気に入ってくれた。もともと、母の実家では、たまという猫を飼っていたのである。
そんな楽しい雰囲気の中、私の知らないところでは怪しい雲行きになっていた。母が、母の姉から、猫がいると子供がアレルギーになってよくないという話を聞かされていたのだ。それで、どうも母親は納得してしまったらしく、食事会が終わって自宅に帰る途中、母の実家の隣町辺りで、その猫を捨ててしまうという、なんとも子供にとってはつらい結末となってしまったのである。
私と弟は、母が猫を車から出すとき、泣きわめいて嫌だと言ったのだが、思いむなしく猫を置いて車は出発してしまった。私にあの時もっと勇気があれば、車から飛び降りていただろう。しかし、私にできたのは泣くことだけだった。
涙が枯れるまで泣くというのはこういうことなんだと、このとき初めて知った。今思えば、この時から両親への不信感のようなものが募っていったのだと思う(母親は自分の意見しか通さない、父親は無関心)。小学校高学年の時、母親がパートで家を空けるようになるという話を聞いたときは本当に嬉しかったし、父が仕事で泊まりの時は気分がよかった。
親との関係がこんなでは後で問題も出てくる。一旦はすべてを親の責任にしたが、何も親だって悪気があったわけではないし、私自身いつまでも親のせいすることは許されず、親より自分が大人になることでしか解決しないと思い、渡米する前ぐらいまでに心を入れ替えたのだ。それ以来、アメリカにいて親と距離をおいていたこともあり、今ではすっかり親に感謝するように変わった。
話がそれてしまったが、この猫のことは、20年も前の話だ。もう生きてはいないだろうこの猫を、patは私に鮮明に思い出させてくれた。それでも、この日飼う気はしなかったのだから不思議である。
投稿者 cgoma : 2006年11月03日 03:56
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