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2006年10月15日

訪れておきたい街 in Kansas

今でこそ留学について、語学留学は留学じゃないとか、辛口なことを言っているけど、私自身、留学前は結構いい加減だった。4年制大学に入る自信もなく(入るのも大変そうだし、やっていくのもそう)、最初はコミニュティーカレッジと決めつけ、気候のいいフロリダもしくはハワイを候補にしていた。通っていたトフルゼミナールのアドバイザーからハワイはぬるま湯と言われてやめ、カリフォルニアはもうちょっと熱めの湯だが、オーソドックス過ぎるし、日本人も多いからパスした。で、フロリダとなった。

でも、デイトナビーチコミカレだの、パームビーチコミカレだの、観光地のニオイのプンプンするものから、何の変哲もないところまでありとあらゆるものがあって、10校ぐらいに出願したと思う。資料請求は20校ぐらい? 届いた資料はほとんど目を通さず、部屋の隅に山積みにされていた。

もうね、どの学校にしていいか、本当に分からなかった。しまいには、親戚のいるカンザスも一応ということで、カンザス大学+AEC(AECは2週間ほどでI-20が来た)、この前日本祭があった、JCCC(ジョンソンカウンティーコミカレ)、そして、Hesston College という、ヘストンという街にあるジュニアカレッジの4校に出願した。

このヘストンカレッジに出願したということは、つまり、私はもうどうでもよくなってしまっていたことの表れだった。学校をどこにしていいか全然分からず、通っていたトフルゼミナールの講師をしていたという人が、留学生課のアドバイザーをしているというこの学校へ、トフルゼミナールの高田馬場校のなんとかっていうアドバイザーのつてで出願してしまったのだ。当時私のアドバイザーであったりんさんの表情は明るくなかった。彼女は生徒たちに自分で考え、自分で納得のいく学校を選び、と主体性を第一に考える人だったからだ。ヘストン=留学斡旋会社のしていることと同じ という数式が彼女の頭の中にはあったのだろう。

渡米(4月30日)が迫り、私はもうヘストンに行くことに8割決めていた。もう面倒なことを考えず、親戚もいるんだし、最初はカンザスでやろうということになったのだ。ただ、いきなりは面白くないので、最初にフロリダの語学学校で2ヵ月半学び、それからヘストンに飛ぶ、これがプランだった。

ただし、私も最後まで選択肢はいくつか残しておく人間である。フロリダの語学学校は、とりあえず1ヶ月しか申し込んでおかなかった。なぜなら、KUは夏学期が6月から始まるからである。KUからは合否がまだ伝えられておらず、もしかしたらそっちというふうにも考えていたのだ(今思えば、AECは終了後大学生になれるので、もうとっととKUに来てしまえばよかったのだが、ISSSの対応が悪かったので、大学全体に対するイメージが悪かったのだ)。

フロリダでの生活が始まり、やっぱフロリダは暑すぎてだめだ、最初はカンザスで世話になろう、ともっと強く思うようになり、ヘストンカレッジへの、行くんだ、という愛着のようなものも芽生え始めていた。というより、もうここでいいやねという感じだったかも・・・。

そんな折、KUのHousing Department に、寮の申し込みの断りのメールを入れたら、「KUに合格している」と伝えられたのだ(今思えば、KUのCollege of Liberal Arts and Sciences はよっぽどのことがない限り落ちるはずないので、笑い話だが)。こうなってくると、真剣に

ヘストンカレッジ vs カンザス大学

を考えるようになる。人間とは不思議なもので、この当時、私はヘストンに2年通った後は、カンザス大学に行こうと思っていたのだ。あんなにカンザス嫌だって言ってたのにねぇ。カンザス大学への思いは、合格した、という知らせを聞いてさらに強いものへとなっていた。だって、結局KU入るなら、ヘストン行く必要ないじゃん、KU受かってるんだから。

こうなってくると、ヘストンに行かない理由、がどんどん沸いている、というより欲しくなる。より一層、KUに行きたくなる為に。まずは学校のカタログを熟読してみた(今頃かよ!)。フムフム、寮には服装の決まりがあるのか、トランスクリプトは教会にお祈りをしに行かないと出ない、なるほど、ってクリスチャンの学校じゃねーか。

というわけで、KUに本決まりになったわけである。随分いい加減ですね。で、キャシー(当時カンザスにいたはとこのアメリカ人、今はいない)に電話し、KUに行くことを伝えると、


「それを聞いて嬉しいわ。だけど、私のボーイフレンドがNYで仕事が見つかったから、今月末には彼とカンザスを離れなければならないの」


・・・・・・。人生はそう甘くはない。いやだいやだ言っていたカンザスに、最終的には決まったのに(はとこがいたから、カンザスが候補に入り)、こういうオチですか。だったら、どの州でもよかったやい、などと身勝手な考えをする自分がいた。それまでのことは棚に上げて・・・。

まあいい。今となってはカンザスに行くしかなく、嫌だったら編入でどっかに入りなおせば済む話だ。とりあえずのスターティングポイントが定まったということでよしとした。

KUに着いて最初の2ヶ月(夏学期)はAECの英語の授業を取っていたのだが、家に帰ってすることといえば、エミュレーターでゲーム、という、日本と変わりのない素晴らしい生活を送っていた。合格していた様々なコミカレから来たI-20を返送することなく。今思えば、I-20なんて返送する必要ない、と思うが、トフルゼミナールからは、その学校に行かない場合は、丁寧な手紙と共に返送、という指導を受けていた(どうせこっちのアメリカ人、そのままゴミ箱行きなのにね)。

フロリダのコミカレはいい。ただ、例のヘストンカレッジは話が違っていた。ここは、

高田馬場のアドバイザー→元トフルゼミナール講師のO氏 @ ヘストン

というコネ(?)があったので、

O氏 → 高田のババア → 私のアドバイザー → 私の両親 → 私

と連絡がまわってきたのだ。O氏は私が行くといっていたのに、行かなくなったということを知らなかったから。失礼な話だ。渡米前は、もうヘストンに行くということで、O氏とメールで何度もやり取りし、予防接種から何まで、質問したりしていたのに、当の本人はエミュレーターでFFやってたのである。

ここまで暴露すると、当時の私がそうとういい加減だったことが分かるであろう。今でこそ、大学院生として授業教えたり、JSAの活動をしていたりするが、所詮人間なんて、中身は分からないものだ(今の中身は違うということにしておいてください)。

で、O氏に行かないことになりました、というメールを送ったのである。返ってきたメールからは、怒りは感じられなかったが、「まったくね、親の顔が見てみたいよ」的な空気が読めて取れた気がする。


そろそろ本題に入ろうではないか。ヘストンはローレンスから、車で数時間の位置にあり、行こうと思えはいつでも行けるのだ。この私の人生を分けたヘストンという地に(実際カンザス大学に来て人生変わったし、来てよかったと思っている)、一度行ってみたいのだ。そして、ヘストンカレッジのウェブサイトに写真が載っているO氏を、ガラス越しに一目見てみたいのである。

(勇気があれば、軽い会話などを交わせるであろう)

投稿者 cgoma : 2006年10月15日 23:32

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